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依存は自己責任か

行動の必要性を理解する視点を

メジャーリーガー大谷翔平選手の通訳であった水原一平氏のギャンブルによる多額の使い込みの報道。あまりにも大きな額に人々は驚き、大谷選手のお金を使い込んだことに憤り、ギャンブル依存の怖さを知るとともに「なぜもっと早くやめられなかったのか」「やめる気持ちがなかったのか」「大谷選手のお金に手を付けて悪いと思わなかったのか」という水原氏に対する攻撃的な発言や人格否定の言葉さえ聞かれる。

依存の問題はとかく「意志が弱い」「やめるという強い気持ちがない」という本人の意志や精神力の問題として語られがちだ。しかし本当にそうなのだろうか。近年、依存は依存症という「病気」としてのとらえ方が主流となっている。依存は、アルコールや覚せい剤などの精神作用物質に依存する「物質依存」、ギャンブルやゲームなどの行動にのめりこむ「行動嗜癖(しへき)」に分類される。どちらもコントロールを喪失し、その結果として社会生活や健康に大きな影響を及ぼすものである。

依存症は精神科医療機関などでの治療の対象となっている。病気なのだから治療すれば治る、治療して更生すればよい、といわれるが、一定期間その行動をやめていても再発することもある。病気だから再発は自然なものでもあるが、依存の問題は「やめると言ったのにうそをついた」「意志が弱い」というような本人の意志の問題として責められるのだ。そのような依存に対する誤解や偏見により、依存問題のある人が周囲から孤立し、回復の妨げとなっている。依存の問題を医学的な視点だけで理解するのは少々危険であると考えている。

私は依存の問題にソーシャルワークがどう向き合うかについて社会福祉学の立場から研究しており、ソーシャルワーカーは依存の問題を多様な視点で読み取ることが求められていると考えている。例えば、医学的に見れば依存症は意志の力と関係なく、コントロールを喪失した疾患であるが、背景には、例えば被虐待体験からくるトラウマなどさまざまな傷つき体験や小児期逆境体験があり、そのことによる生きづらさを緩和する自己治療的な手段としての見方もできる。

また、例えば高齢になり、親しい人や家族との死別などによる喪失体験などが社会的孤立を生み出し、何かに依存することを必要とする場合もある。他にも経済情勢や雇用情勢の悪化による生活課題、家族や周囲との人間関係の悪化といった、その人を取り巻く環境や社会構造との関係性の中で起きている見方も重要だ。依存は不健康なのかもしれないが、不必要なものではない。本人にとっての必要性と何らかの効果がある行動なのである。

依存からの回復は、依存が必要だった自己と向き合い和解していくために、同じような体験を持つ仲間と出会うことが重要である。世界中で広がっているセルフヘルプ活動に参加すること、そして依存に対する正しい知識を持ち、依存者を孤立させない回復を見守る社会が求められている。

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福祉経営学部 田中 和彦 准教授

田中 和彦 福祉経営学部准教授・学部長補佐

※この原稿は、中部経済新聞オピニオン「オープンカレッジ」(2024年5月7日)欄に掲載されたものです。学校法人日本福祉大学学園広報室が一部加筆・訂正のうえ、掲載しています。このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。

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