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多文化共生社会をめざして

「受け入れる心」の欠如

 法務省はこの3月末、日本に住む外国人を対象にした差別に関する実態調査の結果を公表した。過去5年間で日本で外国人を理由に侮辱されるなどの差別的な発言を受けた経験のある人は全体の約3割、彼らが「誰から言われたか」(複数回答)では、「見知らぬ人」が5割と一番多かった。

 2012年、中国人・中国系の生徒が大半を占めるバンクーバーの高校に留学していた娘の生活は、尖閣諸島問題の発生によって一変した。クラスメートの態度が急変し、「日本人死ね」「日本人は泥棒」など、連日はやし立てられ、嫌がらせを受けた。クラスで唯一の日本人留学生である娘は、何を言われても我慢していたが、ある日とうとう「私が何をしたっていうの?国の問題と私個人の問題とを一緒にしないでよ。私は私だよ!日本人だからって、私のこと決めつけないで!」と叫んで周囲を黙らせた。相当悔しかったであろう、私に延々2時間も電話してきた。理不尽な目にあったねと慰めつつも、彼女が自分を理解してくれと言えたことに安心もした。そして、あることを思い出した。

 娘は留学したばかりの頃、中国人の少女に自分のイヤホンを無断で持ち出されたことがある。「これだから中国人はロクでもない!信用できない!泥棒だ!」と、娘は激怒して私に電話をしてきた。「確かにひどいね。だけど中国人は皆ロクでもない、みたいな決め付けは良くないよ」といさめても、当時の彼女は「他の留学生もそう言ってる!」と、頑として主張を変えなかった。

 「あの頃はそう思った。何も知らなかったから。今は違うよ。結局はね、国じゃなくて人なのだよね。中国人の友達でわかってくれる人もいるよ」と、娘はつぶやいた。

 偏見や差別は、正しい知識や情報の欠如している状態で、相手を「自分と異なる存在」と認知するときに発生しやすい。その意味で「正しい知識を」という啓蒙活動やヘイトスピーチ対策法の施行も対策として正しい。しかし、現実問題として差別はなかなかなくならない。政策的意図に翻弄(ほんろう)された歴史的・社会的要因、相手に対して優位にたちたいという感情、自分に都合の良い情報に飛びつきやすい心の弱さなどが存在すると、正しい知識や情報を示しても「受け入れる心」が欠如してしまうからだ。

 しかし、だからといって仕方がないではすまされない。分かり合うことは、多文化共生社会で暮らしていくには必須である。すべての出会いは未知から始まる。相手を知ろうとするかどうかが行く末の分かれ目である。一人ひとりが他者(相手)を理解しよう・理解されたいという「意欲」と、相手の立場を思いやることができる「想像力」を育むことが必要である。

 わが国は、2020年のオリンピック・パラリンピックの開催国として「おもてなし」の精神を挙げた。異文化交流促進や平和でよりよい世界の実現に貢献するために、「知ろうとする」から視点をもつ人権意識の向上に、もっと目を向けていくべきではないか。

吉田 直美 経済学部准教授

※この原稿は、中部経済新聞オピニオン「オープンカレッジ」(2017年5月18日)欄に掲載されたものです。学校法人日本福祉大学学園広報室が一部加筆・訂正のうえ、掲載しています。このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。

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