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中国における"従業員"の定義とは

プーアル茶の販売を巡って

 前回(6月13日)、この「オープンカレッジ」でプーアル茶の茶葉を摘む「農民」について紹介したが、今回は、中国的なその販売方法を紹介したい。

 先日、中国でプーアル茶を商う知人から、日本の販売ルートを探してほしいという依頼を受けた。無論、知人は私が商売に興味がないことを熟知しているし、そもそも販売ルートを開拓する能力がないことは百も承知である。しかし、私の教え子のS君が、紅茶を販売する会社に勤めていることを覚えていたのだろう。「S君に聞いてみてくれないか」という。確かにS君に頼めば、彼の会社の販路にプーアル茶を乗せることができるかもしれない。実に的確な依頼であるのだが、日々、夜遅くまで働くS君の姿が脳裏をよぎる。この仕事をS君に話し、知人の思い通りに事が運んだとしたら、彼の仕事量は間違いなく増えるだろう。そして、プーアル茶が売れたとしても、それにともないS君の給与が上がる保証はどこにもない。

 私の躊躇(ちゅうちょ)を察したのだろう。知人は、「S君が個人的にプーアル茶を扱うようにすればいいのでは」と、S君の収入増を織り込んだ話を展開した。「独立させる?」と逆に問うと、「いやいや、独立しなくても、彼の会社で売ってくれればいいですよ。ただ、プーアル茶が売れた分の数パーセントをS君に渡します。そうすれば、彼も喜ぶでしょう」と。喜ぶかどうかは定かではないが、「日本で、それやったら犯罪。訴えられないとしても解雇されるよ」と返すと、知人は、「S君がやる気になって、プーアル茶が売れれば、会社も儲(もう)かるでしょう。S君、会社、それに私、それぞれお金が儲かってうれしいんじゃないですか」と。「従業員の賃金はできる限り低くおさえ、会社の利益が第一なんだよ」と答えると、知人はシラけた表情を浮かべ、タバコに火をつけ、せせら笑うように煙を天井へと吐き出した。

 知人が抱く違和感。軽蔑にも似た感情を含んだ紫煙の意味を、多くの日本人は理解できないだろうし、理解したくもないであろう。

 その知人と初めて出会ったのは、20年以上も前のことである。上海の出稼ぎ労働者が多く暮らすスラム街だった。多くの出稼ぎ労働者と同じく、彼も貧乏な暮らしを余儀なくされていた。しかし、その後、紆余(うよ)曲折ありながらも、現在は、大金を手にしている。少なくとも私の収入を大きく上回っていることは間違いない。そして、いうまでもなく、成功の秘訣は、部下に対して、仕事を全面的に「丸投げ」してきたからである。「たとえば、私は10%の利益が入れば、それで十分。部下が、相手業者からキックバックを貰っていても、関与しない。それに、その方が、部下は自分の利益のために全力で仕事に取り組むでしょう」という。

 両国の考え方の違いは明らかであるが、そもそも中国には「従業員」という概念が存在していないと捉えれば理解しやすいのではないか。では、知人の会社に勤める従業員をどのように呼ぶべきか、この点を明らかにしないと、なかなか前に進むことは難しそうだ。

原田 忠直 経済学部准教授

※この原稿は、中部経済新聞オピニオン「オープンカレッジ」(2019年7月18日)欄に掲載されたものです。学校法人日本福祉大学学園広報室が一部加筆・訂正のうえ、掲載しています。このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。

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