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揺らぎ始めた「農民」の定義

プーアル茶葉を摘む人びとは何者なのか

 毎年2~3回、中国調査を25年以上続けているが、訪問するたびに、初めて知る事実は少なくない。先日も、プーアル茶の商いを手広く営む知人から教わったことがある。プーアル茶が主に雲南省で作られ、茶葉を固めて円盤のような形で売られていること。その程度の知識は持ち合わせていた。

 ところが、「これがプーアル茶の樹だ」とみせられた写真には驚かされた。そこには5メートル以上の樹々によじ登り茶葉を摘む農民の姿が写っていた。茶摘みというよりも、ヤシの実の収穫をしているようでもある。知人によれば、数百年以上の古樹も多く、老木であればあるほど美味しく値も張るという。

 ただ、知人に勧められながら高級なプーアル茶を堪能していても、「いい香りですね」「口の中がスッキリしますね」という程度の感想しか言えない。むしろ、中国の経済を調査するものとしては、写真の古樹や農民が気になって仕方がない。それゆえ、ついつい場違いな質問をしてしまう。「この老木は誰のものですか」「樹によじ登って茶葉を摘む農民は地元のひとですか」と。知人の答えを待つまでもなく、古樹は国の所有物である。ただし、農民については「聞いてみないとわからない」という。確かに知人の言うとおりである。尋ねなければ分からないのだが、お茶をすすりながら推測することは可能である。

 たとえば、もし地元民であれば、古樹の使用権を持つ農民が、自らの手で茶葉を摘んでいることになる。そして、そのような実態を前にすれば、一方で、その姿に数百年の歴史の重みを感じつつ、他方で、古樹には「所有権」と「使用権」の二つの権利、いわゆる改革・開放以降の権利状態を再確認することができる。しかし、違うというのであれば、彼らは何者なのかと考える必要があるし、古樹を「所有権」と「使用権」という枠組みでは捉えられなくなく。

 実際に茶葉を摘む人びとは、もしかしたら使用権を持つ地元民が雇った労働者かもしれない。または、茶葉を専門に摘む請負集団の一員かもしれない。あるいは茶葉の加工業者が雇った人びとである可能性を否定することもできない。いずれにせよ、地元民でないとすれば、改革・開放政策によって生まれた農家単位の生産体制は形骸化しつつあるといえよう。

 そして、このような変化が生まれた背景とは、請負制が浸透した結果にほかならない。平たくいえば、茶葉の収穫を誰かに「丸投げ」する方法である。地元民からみれば、その請負費を一番高く設定した請負者に「丸投げ」するだけで、不労所得を獲得することができる。

 無論、「使用権」が不労所得を生み出すのは、古樹に限ったことではない。中国社会の隅々で散見できるし、その実態については、今後より詳細な調査が求められている。ただ、その前に、写真に写った茶葉を摘む人びとを「農民」という言葉にくくれるものなのかどうか、再考しなければならないであろう。

原田 忠直 経済学部准教授

※この原稿は、中部経済新聞オピニオン「オープンカレッジ」(2019年06月13日)欄に掲載されたものです。学校法人日本福祉大学学園広報室が一部加筆・訂正のうえ、掲載しています。このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。

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