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「没法子」と赤塚不二夫

「これでいいのだ」を受け止める器量

 2年ほど前から、中国の民間金融を調査している。先日も、浙江省のある街で、投資会社を営むAさん(40代半ばの男性)の話を聞いた。お金の流れなど一通りの質問をし、最後に、「最近は?」と尋ねると、投資先の内装業者が、不動産不況のあおりを受けて倒産してしまい、数千万円の負債を抱えているという。

 もっとも、Aさんは、ひどく落ち込んでいるわけでもなく、事実、ヒアリングのあと、彼の友人たちを呼んで開いた宴会では、大きな声で冗談を言い、周りを笑わせていた。まさに、失敗したが「没法子」(「しょうがない」という意味の中国語である)ということだろう。彼のどこまでも前向きな姿勢には驚かされたのだが、大抵の日本人からみると、この「しょうがない」という言葉に、無責任さ、他人任せで自己努力を怠る中国人の姿を見出す。

 ところが、Aさんを囲んだ宴会の後、彼の友人たちの話にはもっと驚かされた。なんと、宴会に出席していた友人たちは、みな債権者だという。その話をしてくれた人も、Aさんに300万円ほど貸している。もちろん、宴会の席上では、お金の話は一切していないし、誰もが楽しい時を共有していた。「なぜ叱責しないの?」、「そもそもなぜ一緒にお酒が飲めるの?」と問うと、彼はただ「没法子」と答えるだけだった。

 どうやら、「没法子」という言葉には、Aさんに対する「許し」の意味があり、同時に現状を打破し、将来につながる一筋の道を与えたいという意味も含まれているようだ。そして、その時から、「しょうがない」という日本語訳だけでは、中国人を理解できないし、この場合の正しい訳を考え始めた。

 意外なことに、その答えは、名古屋で見つかった。正確にいえば、『マンガをはみでた男―赤塚不二夫』というドキュメンタリー映画のなかに答えは潜んでいた。劇中、「没法子」という中国語が、何故かバック・ミュージックのように何度も流れていた。そして、そのフレーズは、精悍で才能豊かな青年赤塚が、だんだんとハチャメチャになり、やがて酒と女にその身を蝕まれていく姿と見事なまでにシンクロしていた。

 言うまでもなく、この映画で用いられた「没法子」は、「しょうがない」という訳では間違っている。正解は、赤塚が、バカボンのパパに言わせ、自らの人生の中で、何度もつぶやき、そのたびに日本社会との隔離を知り傷ついた言葉、すなわち、「これでいいのだ」がもっともふさわしい。満州引揚者の赤塚の血には、紛れもなく中国人のエートスが流れ込んでいたのだろう。ただし、晩年の赤塚が腫れ物にでも触るような扱いを受けたように、「これでいいのだ」という意味を正しく受け止めるほどの器量を、現在の日本社会に求めるのは無理だろう。

 両国の溝は深い。しかし、赤塚ほど強烈でなくとも、固まりつつある価値観を笑いながら吹き飛ばすような新たな価値や文化を作り出していく必要が、今まさに求められているのではないだろうか。

原田 忠直 経済学部准教授

※この原稿は、中部経済新聞オピニオン「オープンカレッジ」(2016年8月4日)欄に掲載されたものです。学校法人日本福祉大学学園広報室が一部加筆・訂正のうえ、掲載しています。このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。

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