身近な話題が「ふくし」につながるWebマガジン

異文化理解からグローバル時代のふくしを考える ~国際協力の現場から、教室へ~

日本福祉大学セミナー
「異文化理解からグローバル時代のふくしを考える~国際協力の現場から、教室へ~

講師:
小國 和子 国際福祉開発学部准教授
日時:
2015年10月3日(土)

※所属や肩書は講演当時のものです。

グローバル時代に求められる異文化理解

 私の専門は文化人類学です。本学では、より噛み砕いた表現で、「異文化理解の姿勢や視点を身に付ける学問」として、それがこれからの福祉を考える上で一つの鍵になるだろうと思いながら、日々仕事をしています。また、もともと私の研究対象は農村社会で、農業を営む人たちの豊かな暮らしを考えることが研究テーマなのですが、それはまさに「ふくし」を考えることでもあります。農村で農業を営むということは、単なる現金収入獲得の手立てというだけでは割り切れません。土地や水を他人と共有する、いわば共有資源に依存し、近隣関係を大事にしながら生きる、ということであり、高齢化しても続けられるいきがい、やりがいでもあります。そういった、農業の社会的な側面は、農村社会を維持する基盤ともなってきました。しかし、社会経済の変化の中で、農業の形もすっかり変わってきて、農村といえども、人と人との関係性を築いていくことは容易ではなくなってきています。農村に限らず、これからの時代には、日本においても、これまで以上に多様な隣人がいる中で、どのように共に幸せを実現していくかを考えなければなりません。21世紀のキーワードは、「多様性の中の共生」です。

多様性の中の共生 ―課題先進地としての東海エリア

 現代の生活では、より多様な人たちと日常的にコミュニケーションをとる機会が増えています。特に若い人は、ソーシャルメディアを通じていろいろな国の友人を作り、日常的にコミュニケーションを図っています。日本にいながらにして、いろいろな国の人とつながる機会が、どんどん生まれる時代になったといえます。また、LCCと呼ばれる低価格の航空チケットのおかげで、海外に行くこと自体のハードルも下がりました。国内旅行並みの気軽さで、近隣諸国に足を運び、交流を深めることも可能です。さらに、経済成長著しいアジア諸国からは、観光地としての日本が注目されています。実際に、海外からの観光客が日本に来ていろいろな場所を観光し、消費活動をすることは、日本の経済にとって非常に重要な要素となってきています。

 そのような中、ここ岐阜を含む東海地域は「多様性の中の共生」を考えるのに、殊更ふさわしい地域ではないでしょうか。「多様性」と言ってもここではひとまず民族や国籍、言語等を想定しています。例えば、留学や国際結婚など、日本で暮らす様々な外国人の中でも、東京オリンピックを契機に受け入れ期間が拡大志向にあり最近注目されている外国人技能実習制度を見てみると、その受け入れ人口は愛知、岐阜、三重の東海3県で全国の2割を占めています。いわば、そういった、日本にやってきた人たちといかに相互理解を深めていくかという課題に、先駆的に取り組んでいくにふさわしい地域と考えられるのです。

いかに他者への想像力を育むか ―異文化理解のチカラ

 異文化理解とは具体的にどういうことなのか、「異文化理解」の授業から、二つのことをご紹介しましょう。1つめは、「自分の中の『当たり前』を認識すること」です。私たちは、「当たり前」あるいは「普通」「常識」「一般的」といった言葉を意外と無意識に発していますが、その背景ににあるのが自分達の文化です。

 ですから、「当たり前」の根源に自分自身で気付くことが、異文化を深く理解する上で鍵になります。自分がどんなフィルターをかけて世界を認識しているのか、どんなバイアスを持っているのかに気付くことです。例えば、カンボジアをイメージしたとき、「カンボジアは貧しい」という思い込みを持って現地に行くと、なぜか実際に「貧しい側面」しか見えません。ですので、私は1年生の前期の「異文化理解」の授業で、カンボジアだから、「途上国だから貧しい」とは一概に言えない、ということが柔軟な若者の頭に少しずつ入っていくよう、ステレオタイプに気付く機会を投げかけるようにしています。

 生まれ育った環境下で身に付けてきた「当たり前」は、違う人と出会ったとき、相手に対する違和感を覚えさせます。そもそも自分の「普通」と違うから違和感を覚えるのですが、これが時に、汚い、怖い、間違っている、悪いといった否定的な他者イメージに結びつきがちです。しかし、自分にとって普通ではないからといって、間違いとは限りません。むしろ世界的には自分が特殊で、自分の「当たり前」が、相手にとって「非常識」なのかもしれません。そういった想像力を持てる人がいればいるほど、「多様性の中の共生」は実現可能になると考えます。

 そして2つ目は「異文化に学ぶ姿勢を培う」ことです。相手を自分より弱いと思って接すると、相手から学ぶという姿勢はなかなか構築されません。途上国に出ていく日本人に起こりがちな現象です。「この人たちは弱く助けられるべき存在である」と考えると、相手から学ぶ姿勢が生まれず、相手の弱いところばかり見えます。助けるためには弱いところを見つけることも必要かもしれませんが、それだけでは相手の持っているポテンシャルを見逃すかもしれません。ですから、どこへ行っても異文化に学ぶ姿勢を培うことは、とても大切です。

小國2.jpg

 私たちには、たくさんの差異(differences/複数形)があります。差異があると、片方が良くて片方が悪いと考えがちですが、実際には差異自体は中立的な概念です。私ども文化人類学者は、行った先でフィールドワークをして、衣食住を共にして理解するのが原則です。差異を自分の基準で意味づけるのではなく、いわば判断を先送りして、まずはその地域文化における価値、意味合いを学ぶ姿勢で異文化理解を進めることで、その土地の暮らしの豊かさや工夫が理解できます。そのプロセスを経ずに一面的な基準だけで差異を序列化してしまうと、そこには差別の根が生まれます。

一人称の歴史から考える地域づくり ―多民族国家インドネシアに学ぶ

 私は東南アジアのインドネシアでトータル6年ほどの滞在経験があります。インドネシアには300以上の民族があり、それぞれ独自の文化を持っています。国家が独立したときに、「Bhinneka Tunggal Ika(多様性の中の統一)」という言葉を国是として打ち立て、民族も言語も、差異は常にたくさんあるけれども、マイノリティを差別しない、差異を前提とした同一国民としての国家を想像させる工夫をすることで共生を促してきました。これは日本がインドネシアから、これからでも学ぶべきところかもしれません。日本にもたくさんの差異が存在しています。異文化理解の素養を多くの人が身に着けることが、日本で「多様性の中の共生」を実現する一助になればと考えています。

 異なる文化的背景を持つ相手を理解する手立てとして私自身がしてきたのは、相手が生まれ育ってきた国や社会の歴史を、当事者目線で教えてもらうことです。外から判断するのではなく、当事者が受け継いできたものを学ばせてもらうことが、異文化理解の最初の一歩になります。 私が調査に関わってきたインドネシアのある農村地域では、国家成立以前からの慣習的な制度として、田んぼに水を引くマンドロジェネと呼ばれる水番がいます。現地での聞き取りから、水番はかつて、土地も職も持たない経済的な貧困層が、村の首長から任命される役割であり、いわば、地域で貧困層を社会に包摂する独自の仕組みとしても機能していたことが分かりました。そういった、昔ながらの人々の知恵や工夫が分かると、その仕組みを、現存する行政主導の水管理組織とどうつなげていくのかが具体的な課題となり、その土地の歴史を踏まえた、オリジナルなプランニングが導かれます。

小國3.jpg

 地域づくり、特に村づくりは、歴史を踏まえないで行うと、随分もどかしさを感じます。異文化の人を理解する場合も同じです。異文化の人と出会い、自分の文化では見られない仕組みを知ることによって、自分たちが気付かなかったことに気付くようになります。自分たちが当たり前のこととして諦めてきたことでも、異文化での仕組みを学ぶことで、もしかしたらとても有益なアイデアを得られるかもしれません。

 異なる「当たり前」を持つ人と出会うことは、自分自身が何者かを深く考える機会を与えてくれます。つまり、異文化理解とは、自文化を理解する手立てでもあるのです。相手を一方的に理解することが異文化理解であると思っている限り、異文化理解は本質的には達成できません。相手を知りたいと思えば、自分がいかにして生きてきたかを相手に理解してもらわなければいけません。そうして初めて、異文化理解が双方向のものとして成り立つのです。

国際協力の現場から教室へ

 では次に、授業での取組みをご紹介しましょう。異文化を自分とは全く関係のない世界として学んでいる限り、理解は一歩も進みません。授業で様々な国の事例を話すときには、出来るだけ私や知人の海外での体験談として、学生に伝えるようにしています。一般論ではなく、身近な、顔の見える相手の経験として、学生自身の「認識的な世界につなげていく」ことが大事だと思っています。そして、答えを1年目で与えることは極力しません。貧富の差とは何かや、異文化の尊重と人権配慮をどう両立するかというような、答えの簡単に出ない問いを1年目に投げかけて、残り3年をかけて考え、行動してもらいたいと期待しています。

 同じ発想に基づいて、国際福祉開発学部の正課科目である2週間の「国際フィールドワークI」も1年次に行っています。行先はカンボジア、フィリピン、マレーシア、インド、アメリカ等です。すると、そこでたくさんの「?」を頭に詰め込んで帰ってきます。あるいは語学力不足についても、痛切な無力感を抱いて戻ってきます。このように、考えるきっかけを得た学生は、それが動機となり、残りの3年間でいろいろな経験を積み上げてステップアップしていきます。 1年目に「気づき」を得た学生たちは、2年目以降、勝手に動いていきます。学生時代に留学や海外インターン経験を経て、青年海外協力隊として海外に派遣される卒業生も複数います。そういう先輩が輩出されると、今度は、より一層「地続きの、身近な学び」として今の学生たちに先輩の経験を教材として伝えます。そうすると、自分と関係ない世界の話ではないので、全くインパクトが違います。そのようにして、少しずつでも着実に、国際的に活躍する人を育てていこうとしているわけです。

 実際に、1年次にフィールドワークで海外に行った学生のエピソードを紹介しましょう。フィリピンに行った男子学生が、現地の高齢者組合の人たちと話していたとき、「日本では最近、介護殺人というのがあるらしいが、どうして起こるのか。フィリピンは家族関係が大事だからそんなことは起こらない。日本では、家族関係が希薄なのか?」と逆質問されました。学生は、「日本だって家族関係は大切だ」と反論したかったのですが、実際に問題が起こる背景や、日本の社会の実情やその背景を説明できないことに愕然として、改めて、日本の福祉の状況を学ぼうと考えました。海外に行ったことが原動力になったのです。

 また、フィリピンには、全盲の女子学生も一緒に行きました。彼女が感じたことは、日本とフィリピン両国の障害者に対する接し方の違いでした。たとえば、「日本ではとにかく、個人として自立的に生活できるようにと育てられる」し、「過剰に周囲が手を出す事はあまり良い事ではない」とも考えられるけれども、フィリピンでは、障害を持つ人を、その時々の場面で、周囲にいる人たちの間でカバーできる人がサポートするのは当然で、それをホスピタリティーとして美徳とする価値観がとても強く、驚くほど誰もが「手を出してきた」というのです。そんな経験を経て彼女は、「障害者の自立とは、目の見えない私が一人でどこへでも行けるようになることなのか。それとも、必要なときに誰かがきっと声を掛けてくれるという安心感を常に持って外に出られることなのか」という、深い疑問を抱いて帰ってきました。

 こうした現場での気付きを教材にしてみんなで話し合うと、現実は二元論的には語れないことに気付き、フィリピンは貧しい、日本は豊かだと簡単に言う学生はいなくなります。このように、異なる文化を持つ相手をどう理解するのかが、国際理解のスタート地点です。

「鏡」としての異文化

 私自身が大学生のときから読み返している本に、人類学者クライド・クラックホーンの『人間の鏡』があり、今も私にとって一つのキーワードになっています。他文化を理解することで、それを鏡のように見て自文化を理解し、どう一緒にやっていくかというステップに進む。そのように考えることで、差異を持ちながら共生する方向を模索できるのではないでしょうか。

小國4.jpg

 異文化理解に努めることで、生まれた背景によって「前提」「当たり前」「普通」が異なることに気付き、自分の文化を少し離れたところから見る手助けにもなります。それができることは、実は、日常的な関係における人としての強さ、冷静さにもつながるように思います。 異文化に直面したとき、知らないこと、常識的でないことは間違いだと否定しがちですが、その自分に、もう一人の自分が「あなたの当たり前とどう違うのか、観察してみて」と問いかける。そういうふうに訓練していくと、ある文化の中で人間がどのように行動するのか、ある程度、検討をつけることができるようになると言います。そうであるならば、異文化理解の素養を私たちが身に着けることは、最初にお話しした、今後ますます多様化するであろうグローバル時代の日本で、いろいろな人たちと協働していける柔軟な姿勢の基盤を培うことにつながるのではないでしょうか。

さいごに ―ふくしと異文化理解が交叉する学習・研究領域を深める

 最後に。私は、日本福祉大学に着任するまで、福祉の概念をとても狭くとらえており、福祉と文化人類学がこれほどつながるものだという感覚は持っていませんでした。しかし、最近は、私が学んできた異文化理解の考え方は、自分にとって異質性を有する他者を、「○○問題」として否定的に捉えてしまわず、フェアな人間関係を作って一緒に幸せを感じられるようにすることであり、まさに「ふくし」につながる話ではないかと感じています。「途上国」と言われる国、地域で仕事をしていると、いろいろなものが足りない、遅れている、というように、なんらかの「問題」を切り口に相手の理解を始めがちですが、そうではなくて、相手の日常生活にどんな工夫があるのか、どんな豊かさがあるのかを、一緒に体験して、相手の文化の学び手となって理解することで、見えてくるものがあるのです。

 同じことが、日本の福祉の領域にある、さまざまな差異の現場にも言えるのではないでしょうか。自分にとって異質な存在は、自分自身が何者であるのかを教えてくれる鏡です。私は、福祉と異文化理解を併せて学ぶ私たちだからこそ考えられる国際交流があると思います。日本福祉大学で、広い意味での<ふくし>と国際交流や異文化理解が自然に結びつくような体験を積むことで、互いに差異を感じながらも、理解し合おうと努力のプロセスを惜しまず、日常的な共生を後押し出来るような、しなやかな人材が育っていくことを期待し、これからも努力を続ける所存です。

小國 和子 国際福祉開発学部准教授

※この講演録は、学校法人日本福祉大学学園広報室が講演内容をもとに、要約、加筆・訂正のうえ、掲載しています。 このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。

pagetop