近年、親子間の小さな「ズレ」が虐待や暴力へと発展する事例が後を絶たない。背景には、子どもの発達特性や親の孤立、育児不安が複雑に絡み合っている。こうした現実に対し、世界で注目されているのがPCIT(親子相互交流療法)である。
PCITは米国で開発されたエビデンスに基づく行動療法で、発達障がい、不安障がい、自閉症スペクトラム症、破壊的行動問題、虐待予防や親の抑うつ軽減などに有効性が示されている。特徴的なのは、親自身が子どもの「専属セラピスト」として関わる点である。これにより、親子関係の質が改善し、親のストレスも軽減される。親のスキル習得のため、セラピストは表に出ることなく裏方で、親をライブでコーチングする。
しかし実践を重ねる中で見えてきたのは、スキル習得だけでは十分ではないという現実だ。親の心の中には、罪悪感や不安、「良い親でありたい」という切実な思いがある。その思いに寄り添い、親も子も安心して自分を表現できる安全な場を整えること、そして「癒し」を提供することが不可欠である。こうした関わりは、単なる「治療」を超え、信頼で結ばれた関係性を築くことが、親子の内側の力、生きる力や本来の生命力を引き出す源になるかもしれない。この考え方は、フローレンス・ナイチンゲールが「看護覚え書」(1859年)で説いた「生命力を高めるための環境整備」に通じる。ナイチンゲールはクリミア戦争の野戦病院で換気や清潔、十分な栄養と休養、信頼関係を確保することで兵士の死亡率を劇的に下げた。看護の本質は、人が回復するための条件を整えることであり、そこには科学と同時に深い人間理解が求められる。
近年では、新型コロナウイルスのパンデミックにおいて、多くの看護師が感染リスクと闘いながら、重症患者のケア、感染防止策の徹底、家族とのつながりを保つための支援など、最前線で重要な役割を果たしてきた。
時代は変わっても、看護は常に人々の命と健康生活を守る力であり続けている。このように看護とは、単に病気やけがの治療を補助することにとどまらず、人と人との関係性を大切にし、環境を整えることで人間本来の回復力や生命力を引き出す営みである。それを看護の先人は「アート(芸術)」と呼び、科学的知識と人間的な感性を融合させることこそが看護の本質であるとも言われている。
最近では、地域の健康支援や子育て家庭のサポート、災害時のケアなど、看護の専門性はさまざまな社会課題に向き合い始めた。治療という枠を超え、信頼で結ばれた関係性や生命力を引き出す営みを、思いや理念だけにとどめず、社会の仕組みとして実装することが重要である。そのためには、看護師自身が企画力・運営力・経営力を学び、看護の知見を生かしたサービス事業や地域と連携したヘルスケア事業を立ち上げるといった新たな挑戦も必要だろう。看護は医療の一部にとどまらず、社会に新たな価値を生み出す可能性を秘めている。
古澤亜矢子 看護学部教授
※この原稿は、中部経済新聞オピニオン「オープンカレッジ」(2025年9月15日)欄に掲載されたものです。学校法人日本福祉大学学園広報室が一部加筆・訂正のうえ、掲載しています。このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。