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パラリンピックと共生社会

日本福祉大学・日本財団パラリンピックサポートセンター共催シンポジウム
「パラリンピックと共生社会」

パネリスト:
小倉 和夫 氏、大日方 邦子 氏、為末 大 氏、松崎 英吾 氏
モデレーター:
藤田 紀昭 スポーツ科学部教授
日時:
2017年5月27日(土)

※所属や肩書は講演当時のものです。

目指すべき共生社会

藤田
こういう社会になればというところをもう少し具体的にお話しいただけますか。
小倉
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小倉和夫氏

パラリンピアンが有名になってスターが出てくると、障がい者やそれをサポートする人にとっては、かえって遠い存在になってしまうおそれがあります。オリンピックやパラリンピックが私たちの日常に溶け込むことが、2020年を考えるに当たって大事なことだと考えています。
為末
オリンピックに関わろうとしても、権利でがちがちに固められていて、実はほとんどできることがないと知ってがっかりする地方の方をたくさん見てきました。おっしゃるように、スターをつくっていく仕組みとみんなが関わる部分を両立させないと、偏執していく可能性があると思います。
大日方
パラリンピックバブルといわれる中で、スター選手も出てきています。妥協なく競技を極めながらも、社会の中で自分が担うべき役割を選手たちに伝えるのは、コーチや私たち選手を終えた者の役割です。為末さんのようにいろいろな場で自分の考えを伝えることができるアスリートは、スターではあるけれども、自分たちに近いところでスポーツの価値を伝えてくれる存在です。私たちもそれに倣っていきたいと思っています。

共生社会に向けた課題

藤田
テクノロジーを生かした共生社会では、難しい問題も出てくるようですが。
為末
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為末大氏

これまでのテクノロジーは障がいを乗り越えるための助けになってきましたが、次の大きなテクノロジーの波については、それを障がい者を増やすような戦争に使うのか、それとも障がいを持っている人を助けるために使うのかを、意識して皆で考える必要があると思っています。
藤田
松崎さんには混ざり合うというお話を頂きましたが、具体的にどうすれば混ざり合っていけるのか、混ざり合った先に何があるのか、お話しいただけますか。
松崎
パラリンピックの成功指標はメダルが99%だと肌で感じていますが、大事なのはパラリンピックによって人々の障がいに対する見方が変わることですから、具体的に行動変容が起こるかということが評価指標に入ってくるといいのではないかと思います。
松崎
行動変容を促す目的で、私たちは小学校で目隠しをしている子どもとしていない子どもが協力しなければ達成できないようなゲーム形式のプログラム「スポ育」を実施しています。
小倉
ロンドンのパラリンピックでは、開会式や閉会式で花火を上げたりステージ上でダンスをしたりしていましたが、視覚障がいや聴覚障がいの方はどうやってそれを感じ取るのだろうかと考えてしまいました。また、義足の選手が転んでしまったり、車椅子の方が長時間式場にいなければならなかったりしていたので、工夫の余地があるなと思いました。テレビ放映の時間も、アメリカのゴールデンアワーに合わせているので日本では夜中だったりします。みんなのオリンピック・パラリンピックというのなら、子どもが見られる時間帯にしてほしいです。
藤田
小倉さん、アジア地区はGDPが低く、パラリンピックに出られない国がたくさんありますが、何か日本がやれることはありますか。
小倉
アジアは二極化していて、韓国、中国、日本に加え、タイやマレーシアが積極的に参加するようになってきています。問題はラオス、カンボジア、インドネシアなどですが、そうした国々が最も関心のあるスポーツについて、日本が他の国と一緒に支援していくプログラムが組めればいいのではないでしょうか。
藤田
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藤田 紀昭教授

大日方さん、障がいのある人のスポーツ実施率は高まっているのか、どうやったら高まるのか、お話しいただけますか。
大日方
障がいがある人がスポーツをやってみたいと思うきっかけの一つとなるのは、パラリンピアンの活躍だと思います。スポーツ施設のバリアフリー化などの環境を整える必要もありますが、問題は地域の人たちが障がいを持つ人たちと一緒にスポーツをするという経験が圧倒的に少ないことです。そこも選手たちが少しずつ、一緒にやる方法を伝えていくことが大切だと思います。
藤田
松崎さんは、ブラインドサッカーの競技人口を増やすためにはどのようなことが必要だと思いますか。
松崎
これからは障がいのある人も一緒にスポーツをする時代になっていくと思います。日本サッカー協会も、2015年に七つの障がい者サッカー団体が属する「一般社団法人日本障がい者サッカー連盟」を設立しました。日本サッカー協会と協力し、約8万人のサッカー指導登録者と約26万人の審判(共に2016年度)が障がい者サッカーを理解してくれるようになると、大きな変革が起こるのではないかと考えています。
藤田
為末さん、新豊洲のBrilliaランニングスタジアムはどういう目的で造られたのでしょうか。
為末
目的は二つあって、一つはトレーニングをしながら義足の調整や開発をすること、もう一つは障がいを持っていようがいまいが、日本人だろうがそうでなかろうが関係なく、共に走ることを楽しむことです。

機運を盛り上げる

藤田
東京はパラリンピックで盛り上がっていますが、地方でも機運を盛り上げていくために何かいい方法はないでしょうか。
小倉
最も人々の関心を高めるのは地元選手の活躍です。加えて、大学生など、若い人が特派員として現場へ行き、地元の選手の活躍ぶりを地元に伝えるといいと思います。
藤田
日本福祉大学からもパラリンピアンがたくさん出ているので、ぜひ大学でも何か考えていければと思います。大日方さん、いかがでしょうか。
大日方
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大日方邦子氏

選手には応援が本当に大きな力になります。福祉大のパラリンピアンたちには、ぜひパラリンピックの面白さや競技の見どころを伝えるアンバサダーになっていただきたいですし、実は地域で暮らしている人で、昔パラリンピックに出たという方は結構いらっしゃるのです。そういう方々にもぜひ一役買っていただけるといいのではないかと思います。
為末
やはりパラリンピアンにじかに触れることが重要だと思うので、海外の方を事前合宿で呼び込むなどして盛り上げるといいのではないかと思います。 また、レガシーとして何を残すかということで私が考えているのは、日本の弱点をつぶすことです。栄えている国は自国の言語を大事にするのですが、アジアの国は早々に教科書を切り替えるので、今の若い世代はほぼ英語が話せます。これからは間違いなく日本語だけでは生きていけなくなるので、例えば1年間、福祉大の学生全員を世界中に障がい者スポーツのコーチとして派遣して、英語で指導するということを考えてみてはどうでしょうか。
松崎
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松崎英吾氏

愛知県にはMixSense名古屋というブラインドサッカーのチームがあって、できたばかりで困っているので、学生さんなどにはぜひ現場で手伝っていただきたいですし、地域の皆さんにもご協力を頂きたいと考えています。同時に、この名古屋のチームは、「われわれは今、場所があれば愛知県内のどこにでも行く」と宣言して実際に活動しています。学園祭にも行きますので、ぜひ呼んでいただいて、まずは皆さんにもブラインドサッカーを体験していただきたいと思います。

2020年とそれ以降に向けて

藤田
最後に、2020年とそれ以降に向けてどのような活動をしていきたいと考えていらっしゃるか、決意表明と学生たちへのメッセージをお願いします。
小倉
多くの健常者は障がい者との出会いに戸惑いを感じます。それは、多くの人々にとっての日常の世界と障がい者にとっての日常の世界が違うからです。自分と違うものだと思った途端に心理的な壁ができてしまいますので、障がいのある世界も自分たちの日常の世界の一部であるという気持ちになれることが大事だと思います。どういう世界でもいいので、一見非日常的な世界を自分の日常の中に入れ込んでいく努力をしてほしいと思います。
大日方
私は2020年大会を通じて、共生社会を現実のものに近づけたいと思っています。私自身はこれからも過去にやったことのないことに挑戦したいと思っていますし、若い世代の皆さんには好奇心を旺盛に持ってほしいと思っています。障がいがある人は別に言葉が通じないわけではありませんし、通じなかったとしても他のコミュニケーション手段がたくさんあるはずなので、隔たりなく声を掛けられる人になってほしいと思います。
為末
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私は、全ての人間は自分の可能性を拓きさえすれば、必ず個人の最大幸福を追求できると信じています。私たちのマインドセット、つまり思い込みが2020年のパラリンピックで一新されれば、この国はまた新しく生まれ変わっていけるのではないかと思うので、義足の選手が活躍する瞬間にそのタイミングがつくれたらと思っています。
松崎
職業を聞かれて、「パラリンピック関係者です」と答える人たちが年々増えています。現に、過去に視覚障がい者の同級生と4年間一言も口を利いたことがなく、関心すら持っていなかった私が、今、パラリンピックを通じて社会を変えていきたいと活動しています。オリンピック・パラリンピックの競技団体は、中途採用や企業からの出向者で人員を手当てしていこうという動きも活発です。弊協会では新卒も採用しています。それは、私たちが障がい者スポーツを通じて文化をつくっていきたいと思っているからです。職業としてパラリンピックを盛り上げていくというところにも興味を持ってもらえればうれしいです。
藤田
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ありがとうございました。日本にはまだ、パラリンピアンは障がい者の代表という感覚があるのではないかと思いますが、オリンピック・パラリンピックに向けた3年間を通じて、私たちの代表と思える社会になればと思います。世界的には、異質なものを排除しようとする排他的なイデオロギーが隆盛しつつありますが、パラリンピックの力でインクルーシブな社会が形成されることを期待したいと思います。
これから社会を担う若い皆さんには、今日の話をぜひもう一度思い返していただいて、まずは障がい者スポーツやパラリンピックを生で見ていろいろなことを感じ、誰もが主役になれる社会づくりに関わっていただければと思います。

公益財団法人日本財団パラリンピックサポートセンター理事長

小倉 和夫

日本財団パラリンピックサポートセンター理事長。東京大学法学部卒。1962年外務省入省。駐ベトナム・韓国・フランス大使、独立行政法人国際交流基金理事長、2020年東京オリンピック・パラリンピック招致委員会評議会事務総長歴任。

一般社団法人日本パラリンピアンズ協会 副会長

大日方 邦子

東京都出身。3歳の時、交通事故で右足切断、左足に障害。高校2年からチェアスキーをはじめ、アルペン日本代表として1994年リレハンメルから2010年バンクーバーまで5大会連続出場。金2、銀3、銅5個のメダルを獲得。日本パラリンピアンズ協会副会長などを務める。

一般社団法人アスリートソサエティ 代表理事

為末 大

1978年広島県生まれ。スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。3度のオリンピックに出場。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2017年7月現在)。現在は、スポーツに関する事業を請け負う株式会社侍を経営。主な著作に『走る哲学』、『諦める力』など。

特定非営利活動法人日本ブラインドサッカー協会 事務局長

松崎 英吾

1979年千葉県生まれ。大学在学時に運命的に出会ったブラインドサッカーに衝撃を受け、関わるようになり、2007年に日本視覚障害者サッカー協会(現・日本ブラインドサッカー協会)の事務局長に就任。「サッカーで混ざる」をビジョンに掲げ、サスティナビリティがありながら事業型で非営利という新しい形のスポーツ組織を目指す。

藤田 紀昭 スポーツ科学部教授

日本福祉大学スポーツ科学部学部長。筑波大学大学院体育研究科修了。徳島文理大学専任講師、同志社大学スポーツ健康科学部スポーツ健康学科教授などを経て、現職。研究分野は、体育学、障害者スポーツ論。「地域における障害者スポーツの普及促進に関する有識者会議」座長を務め、現在、公益財団法人日本障がい者スポーツ協会技術委員会副委員長。

※この講演録は、学校法人日本福祉大学学園広報室が講演内容をもとに、要約、加筆・訂正のうえ、掲載しています。 このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。

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