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パラリンピックのレガシーと共生社会の実現

長野県地域同窓会
「パラリンピックのレガシーと共生社会の実現」

講師:
藤田 紀昭 スポーツ科学部教授
日時:
2019年8月24日(土)

※所属や肩書は講演当時のものです。

障害者スポーツって?

 障害者スポーツは、特別なジャンルではありません。オリンピックとパラリンピックを別々に開催しているので、そういう思いがあるのかもしれませんが、実はそうではないのです。女子のバレーボールはネットが男子より低かったり、子どものスポーツは大人と違うルールで行ったり、その人に合わせたルールや道具を使います。それと同じように障害者スポーツも、障害者が参加できるように工夫しています。そもそもスポーツには制限が多い中で、障害者スポーツの場合、他のスポーツよりも制限がやや多いですが、それを受け入れながら工夫していくのです。

 最近はアダプテッド・スポーツやパラ・スポーツとも呼ばれます。「パラ」はパラリンピックの「パラ」でもあるのですが、parallel(平行)から来ています。オリンピックと平行に行われているスポーツ、もう一つのオリンピックという意味です。

 障害のない人たちがするスポーツにはいろいろなレベルや目的がありますが、それと同じように障害者スポーツもさまざまなレベルや目的を持っています。私がつくったオリジナルスポーツに「風船バレー」があるのですが、とにかく大きな風船を相手のコートにたくさん入れるというものです。知的障害のある人でも楽しめ、お金もそれほどかかりません。

障害者スポーツのさまざまな競技と大会

 夏季パラリンピックの競技数は22あります。2020年東京パラリンピックでは、バドミントンとテコンドーが新たに採用されます。冬季は6競技ですが、1998年に長野で開かれたときには車いすカーリングとスノーボードがなく、アルペンスキー、バイアスロン、クロスカントリースキー、アイススレッジホッケーが行われました。

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藤田 紀昭 スポーツ科学部教授

 パラリンピックの第1回は1960年のローマ大会、第2回は前回の東京大会でした。元々、脊髄損傷等で下半身の障害がある人のことをParaplegiaと呼んでいました。その接頭辞ParaとOlympicを足したParalympicという言葉が、1964年東京大会から使われるようになりました。

 パラリンピックの目的は、パラ・スポーツを通じた共生社会の形成です。オリンピック、そして今はパラリンピックもそうなのですが、何となくメダルを取ることばかり注目されています。しかし、パラリンピックは決してメダルの数を競い合うためにやっているのではなく、共生社会をつくっていくための大会なのです。パラリンピックやオリンピックを開催した後にレガシーが残らないと、目的は達成していないことになります。

 パラリンピックには四つのコア・ヴァリュー(中心的な価値)があります。一つ目はCourage(勇気)、マイナスの感情に向き合い乗り越えようとする精神力です。二つ目はDetermination(強い意志)、困難があっても諦めず限界を突破しようとする力です。三つ目はInspiration(インスピレーション)、人の心を揺さぶり駆り立てる力です。そして四つ目はEquality(公平)、多様性を認め、創意工夫すれば誰もが同じスタートラインに立てることを気づかせる力です。

 パラリンピックの始まりをつくったのは、ルードヴィッヒ・グットマンというイギリスの脊髄損傷専門の医師でした。彼は第二次世界大戦で多くの人が脊髄損傷になるだろうと見越し、脊髄損傷専門の病院を作りました。彼自身はユダヤ人で、迫害を逃れてイギリスにやって来ました。そして、負傷兵士のリハビリテーションとして始めたのがパラリンピックの起源です。ですから、パラリンピックの始まりは、実は戦争と非常に関係があるのです。海外では現在も戦争でけがをする人がたくさんいます。それだけに平和の尊さを訴えていくことも大事だと思います。

 日本は一生懸命、税金をつぎ込んで強化し、メダルをたくさん取ろうとしていますが、なかなか難しい面があるのです。理由の一つとして、パラリンピックには戦争でけがをした若い人が選手としてどんどん出場しますが、日本は戦争をしていないので、そういう人が少ないことが挙げられます。スポーツが強い国は、割とそうした戦争体験をしている国が多いといわれます。ですから、強ければいいというものでもありません。日本は日本らしく、障害者スポーツの普及や障害者支援で存在価値を見いだすべきだと思います。

 グットマン氏がリハビリの手段としてスポーツを取り入れたところ、半年で85%の人が社会復帰をしたといわれています。これがまさにスポーツの力です。スポーツは自主的に行うものであり、それによって身体にも好影響がもたらされ、リハビリの効果も上がるのです。

 スペシャルオリンピックスは、知的発達障害者の大会です。パラリンピックのようにトップを目指すのではなく、自己実現や社会参加が主な目的になります。

 デフリンピックは、聴覚障害者の大会です。歴史はパラリンピックよりも古く、1924年に初めて国際大会が開かれました。

 全国障害者スポーツ大会は、まさに1964年パラリンピックのレガシーの一つです。当時、脊髄損傷の人しか国際大会には出られなかったので、その他の障害の人も出られるようにして大会を開いたのが起源です。1992年から始まった全国知的障害者スポーツ大会と別に開催されていたのですが、2001年に統合されました。

障害者スポーツの魅力

 パラリンピックは障害者の大会なので、何となくレベルが低いと思うかもしれませんが、決してそんなことはありません。今年、ジャパンパラ陸上競技大会が岐阜県で行われ、本学の学生もボランティアに行ったのですが、走り幅跳びのマルクス・レーム選手が8m30cm台を跳んでいました。目の前で跳んでいるのを見るとかなり迫力がありました。

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 パラリンピックでは、障害の重いクラスの競技は記録が低くならざるを得ないのですが、障害の軽いクラスでは障害のない選手に引けを取らないものもあります。走り幅跳びの日本記録は8m40cmですが、マルクス・レーム選手が持つ記録は8m48cmなので、日本記録を上回っています。

障害のない選手とある選手の世界記録等の比較

種目 障害のない選手 障害のある選手 障害内容(クラス)
陸上 男子100m 9秒58 10秒57 両ひざ下義足
10秒49
(為末大氏)
10秒46 弱視
男子400m 43秒18 45秒39

両ひざ下義足
(オスカー・ピストリウス氏)

男子走り幅跳び 8m95
(日本記録:8m40)
8m48 両ひざ下義足
(マルクス・レーム氏)
男子マラソン 2時間2分57秒 1時間20分14秒 車いす
男子1500m 3分50秒
(リオ・オリンピック金)
3分48秒29
(リオ・パラリンピック金)
弱視
男子円盤投げ 日本記録:60m22 63m61 F44 片下腿義足
女子1500m 日本記録:4分7秒86 世界記録:4分5秒27 T13 弱視
水泳 男子100m自由形 47秒05 50秒87 片手部切断
両足部切断等
女子100m自由形 52秒07 59秒17 片下腿切断
両足部切断等
女子800m自由形 8分7秒39
8分23秒76
(柴田亜衣氏)
8分59秒09 両ひざ下切断
片大腿切断等

 それから、男子車いすマラソンは1時間20分で駆け抜けます。1970年代は3時間ぐらいかかっていましたが、選手のトレーニングと車いすの性能向上によってタイムが短縮されています。それから、リオオリンピックの1500mの優勝記録は3分50秒でしたが、パラリンピックは3分48秒29で、優勝記録だけを比較するとパラリンピックの方が速かったのです。円盤投げや女子1500mでも同じようなことが起きています。

 水泳では、障害のない選手の自由形100mの最高記録は47秒05ですが、障害のある選手の最高記録は50秒87です。2秒以上の差がありますが、この50秒87という記録は1975年当時の障害がない選手の世界記録なのです。つまり、だんだん追い掛けています。それぐらいレベルが高いクラスもあるのです。

 障害者スポーツのもう一つの魅力は、多様性と可能性です。選手一人一人の体が違います。同じ100mを走るにしても、同じやり投げをするにしても、同じ卓球をするにしても、方法が一人一人異なり、自分に合った技術を苦労して見つけ出し、自分のものにしていきます。

 私は、ボッチャという競技を2000年頃から愛知県内で普及させているのですが、ボッチャの場合も、非常に障害の重い選手が多いです。そこで、滑り台のようなものを使って球を転がすのですが、球を置く位置や投げ方を決めるのに半年ぐらいかかります。そして、限界が来るとまた別の技術を考えていかなければなりません。そういう意味で、非常に多様性がある点がまた面白いです。

 実は、スポーツ科学部は障害者スポーツを非常に大事にしていて、先生方をたくさんそろえています。なぜなら、障害のあるいろいろな選手にきちんと指導できれば、子どもたちにも対応できるし、高齢者にも対応できるし、運動の苦手な人にも対応できるからです。これまでのスポーツ科学部は、トップレベルを目指し、そのために何が必要かを学ぶことが中心でしたが、加えて障害のある人や運動の苦手な人にスポーツの楽しさを伝えるためにどうすればいいかということも学んでいるのです。

 イブラヒム・ハマト選手は、両腕のない卓球選手です。両腕のない人が卓球をするのは無理だろうと思うかもしれませんが、きちんと指導すれば可能なのです。工夫をして競技に参加することができます。こうした選手はいろいろな競技にたくさんいます。このことは可能性の追求でもあると思うので、ぜひ覚えておいてください。

 スポーツの指導はこうでなければならないとついつい言ってしまいそうになるのですが、そうではなくて、その人に合ったやり方が必ずあるということを教えてくれます。こうした多様性がパラリンピックの魅力の一つだと思います。

パラリンピックのレガシーと共生社会

 パラリンピックのレガシーには、有形のものと無形のものとがあります。有形のレガシーは、例えば道路が良くなったり、公共施設がバリアフリー化されたり、さまざまなテクノロジーが進化したりすることです。無形のレガシーは、障害者スポーツの認知度向上や人々の意識の変化、障害者のスポーツの実施率向上などが挙げられます。

 新聞やテレビにおけるパラリンピックの報道量は近年、急速に増加しています。障害者スポーツのことを皆さんが知ってくれることも一つのレガシーであり、共生社会に向けた前進だと思います。私には野望があって、ボッチャという競技はカーリングに似ていて手軽にできるので、温泉にある卓球台を全部ボッチャに替えたいのです。各競技の報道量を見ると、リオ大会のときは車いすテニスが一番多かったのですが、2018年はボッチャの記事が一番多いのです。それぐらい注目されるようになりました。

新聞報道量(件数)

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パラリンピック関連新聞記事数(2004-2018年)
(朝日新聞、毎日新聞、読売新聞データベースより藤田作成2019.1.14)

 それから、障害者スポーツを見た体験があるかどうかによって障害者に対するイメージがどう変わるかを調査しました。すると、障害者スポーツを見たり体験したりした人ほど、障害者に対してポジティブな意識を持っていますが、それほど意識は変わっていないという結果が出ました。考えられるのは、報道量が増えても関心を持って見ている人は少ない可能性があるということです。もう一つは、短時間で意識は変わらない可能性があるということです。ですから、パラリンピックが終わったらおしまいではなく、終わっても長く報道したり、体験会のようなものを続けることによって、だんだん人々の意識が変わってくると考えられます。

メディアを通じて障害者スポーツを見た体験の有無による障害者に対する意識の違い(2018年調査)(n=2066)

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障害者スポーツの体験の有無による障害者対する意識の違い(2018年調査)(n=2066)

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 障害者スポーツの実施率を向上するポイントとしては、先天的に障害がある人は、必ずリハビリテーションや療育を通り、学校に行きますが、後天的に障害がある人は医療・リハビリテーションを必ず通ります。こうして必ず通る学校や医療・リハビリテーションに関わる人が、障害者スポーツの情報を持っていないことがあるのです。加えて、社会福祉に関わっている方や、高齢者あるいは障害者の施設に勤めている方々に情報が行き渡っていません。そういった方々が「ここに行くと障害者スポーツを楽しめる」と一言教えてくれれば、実施率が一気に上がる可能性があると思います。学校の先生や医療・福祉関係者に情報を届けることが私たちの役割だと考えています。

日本福祉大学スポーツ科学部のミッション

 日本福祉大学スポーツ科学部は2017年4月、美浜キャンパスに開設されました。大きな体育館を、以前テニスコートやバレーボールコートがあった所に造りました。愛称を「SALTO(サルト)」といいます。宙返りや飛躍という意味があります。学生たちにここで活動して飛躍してほしいという思いから付けました。建物全体が、障害のある学生にもない学生にも使いやすい構造になっています。皆さんにも機会があったらぜひ大学の方に足を運んでいただきたいと思います。

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スポーツ科学部棟「Sports Lab SALTO」

 スポーツ科学部のミッションは、「ふくし(ふだんのくらしのしあわせ)」を、スポーツを通じて実現することです。コンセプトは「スポーツを360°科学する」ことであり、すべての領域からスポーツを勉強し、すべての人たちにスポーツの楽しさを伝え、大学にいる間にすべての仕事で生かせる力を身に付けてもらいます。

藤田 紀昭 スポーツ科学部教授

※この講演録は、学校法人日本福祉大学学園広報室が講演内容をもとに、要約、加筆・訂正のうえ、掲載しています。 このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。

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