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知多半島ものづくりの歴史と、その資源の活かし方

知多半島ものづくりの歴史とその資源の活かし方

曲田 浩和 経済学部 教授

※所属や肩書は発行当時のものです。

はじめに-知多半島のイメージ-

 学生に知多半島(知多地域)のイメージを尋ねると、次の三つが挙がります。

①自然が豊かである。
②三方が海に囲まれている。
③大都市(名古屋)に近い。

 知多半島はものづくりがさかんであることを伝えても、あまりピンと来ず、知多半島にものづくりがさかんなイメージはないようです。表1は都道府県別の工業生産額に知多地域(5市5町)を入れて並べたものです。愛知県が全国第1位です。第2位の神奈川県と比較しても倍以上の差があります。知多地域は24位で全都道府県の真ん中にあたります。

表1 2019年工業統計表 都道府県別製造品出荷額

従業員数4人以上の事業者を対象とする。

順位 都道府県名 金額(億円)
1 愛知県 487,220
2 神奈川県 184,431
3 大阪府 175,615
4 静岡県 175,395
5 兵庫県 165,067
6 埼玉県 141,470
7 千葉県 131,432
8 茨城県 130,360
9 三重県 112,079
10 福岡県 102,379
11 広島県 100,397
12 栃木県 92,111
13 群馬県 91,360
14 岡山県 83,543
15 滋賀県 80,744
16 東京都 75,777
17 山口県 67,012
18 長野県 64,659
19 北海道 63,276
20 京都府 59,077
21 岐阜県 58,897
22 徳島県 52,465
23 新潟県 50,674
知多半島 48,778
24 秋田県 46,656
25 大分県 44,390

 知多半島は古くからものづくりがさかんであり、生み出された経済力により、特徴ある文化を育んできました。こうした知多半島ものづくりの歴史が私の研究テーマです。本稿では「経済史Ⅰ」の授業の一端を紹介いたします。

1.知多半島発の全国ブランド

 江戸時代の知多半島には、三つの全国ブランドがありました。知多酒、知多木綿、常滑焼です。小さな半島で三つも全国ブランドがある地域は、全国どこを探してもありません。全国ブランドが生まれた理由は百万人都市江戸を販路にできたからです。知多半島は海運業がさかんであり、さらに、知多半島は江戸の消費を支えた天下の台所・大坂より江戸に近いメリットがありました。

 日本最大の酒造地帯は灘・西宮(以上、兵庫県)です。酒粕を原料にした粕酢や、味噌・溜生産がさかんに行われことで、知多半島は酒造地帯から醸造地帯に変わりました。粕酢は握りずし(早ずし)と結びつき、大豆中心の豆味噌(赤味噌)は独自の食文化を生み出しました。知多酒の最盛期は明治初期で、200を超える酒蔵がありましたが、酒税(酒造税)の増税により生産は急速に減少しました。それでも近代科学の力による新しい酒造りを目指しました。また、西洋の葡萄酒(ワイン)や麦酒(ビール)造りにも挑戦しました。

 カブトビールは、1900年のパリ万博で金賞を受賞し、本場のヨーロッパで認められました。原料・醸造機械・技師など徹底してドイツビールにこだわって造られました。中埜酢店(ミツカングループ本社)の中埜又左衛門がオーナーとなり、小鈴谷(常滑市)の盛田善平が形にしました。カブトビールの工場は半田赤レンガ建物として現在保存・活用されています。

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半田赤レンガ建物

 全国ブランドとしての知多木綿はおもに白木綿で、いわゆる晒です。明治時代の知多木綿は「知多雪晒」のブランドを用いました。江戸時代後期から幕末にかけて知多半島の白木綿の人気が高まります。知多木綿の特徴は、化学薬品のない時代に漂白技術を高めたことでした。白木綿の製造工程は布を灰汁で煮沸、洗水、天日干しの作業を繰り返します。灰汁の灰を藁灰から綿実灰に変えたことで白さが際立ったといわれています。また、知多木綿は有松絞りの材料にも使用されました。有松は現在は名古屋市緑区に属しますが、江戸時代は知多郡有松村でした。有松に住むお年寄りのなかには、いまでも知多半島の住民という感覚が残っている人もいます。

 明治時代に入り、国産の動力織機が作られました。トヨタグループ創業者の豊田佐吉の動力織機は乙川(半田市)で開発されました。手織機から動力織機、自動織機へと展開しました。半田に建てられた知多紡績(のちの東洋紡績)をはじめ、大小さまざまな織布工場が知多半島一円に広がりました。なかでも岡田町(知多市)は木綿の町として栄えました。その面影は蔵のある街並みに残されています。

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岡田の町並み

 また、ドイツにこだわりカブトビールを製造した盛田善平は製粉工場を築きました。紡績業の機械化が進むなかで糸切れが問題化しました。盛田善平は糸に小麦粉をつけることで摩擦を押さえて糸切れを防ぐことに注目しました。その後、第一次世界大戦中、ドイツ人捕虜が名古屋の収容所に送られました。捕虜のなかにパン職人がいたことから、ドイツに通じた盛田善平はパン製法を学び、敷島製パンを創立しました。ビール・紡績・小麦・パンへとつながるストーリーです。

 知多半島の焼物は12世紀に始まったとされ、その後、常滑に窯が集中し、常滑焼とよばれるようになったといわれています。中世常滑焼は大甕を得意としました。平泉(岩手県)や坊津(鹿児島県)などで出土し、全国に常滑焼が流通していたことがわかります。江戸時代に入っても大甕を中心に生産・流通しました。良品は大名家の棺桶をはじめ、水甕や藍甕に、素焼きのものは便槽・肥溜などに使われました。

 明治時代には形を変え、土管やタイルなどは土木・建築の分野でおもに使われるようになりました。近代都市づくりに欠かせないのが土管です。木型を用い規格品を大量生産することで、常滑の土管が普及しました。明治時代後半には全国に鉄道が拡張します。線路が敷かれることで農地が分断しましたが、土管を通すことで水が行き渡ります。全国に土管が広まりました。また、建築資材として水に強いタイルが用いられました。さらに1923年建造の帝国ホテルに常滑のテラコッタ(装飾タイル)が使用され、そのデザイン性にも注目が集まりました。

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常滑市「土管坂」

2.歴史的資源を活かすためには

 近年、文化庁は、文化財について保存重視から活用重視の方向を打ち出しました。個人的には保存も活用も重視する必要があり、保存と活用は両輪であると考えています。そうでないと活用できる文化財には価値があり、活用できない文化財には価値がないという考えが生まれてしまいます。活用という言葉にはざまざまな意味が含まれます。活用=経済効果のみと捉えると、文化財の消失につながります。保存重視は変えず、工夫した活用が求められると思います。歴史的資源の活かし方はさまざまです。そのなかで二つの事例を紹介します。

 一つは日本遺産です。日本遺産とは、文化庁が地域の歴史的魅力や特色を通じて、我が国の文化・伝統を語るストーリーを認定したものです。現在104件が認定されています。なかには歴史ロマンが優先しすぎ必ずしも歴史的事実に基づかないものもあり、見直しが必要なものもあります。

 知多半島には二つの日本遺産が存在します。一つは有松絞りを取り上げた「江戸時代の情緒に触れた絞りの産地-藍染が風にゆれる町 有松-」です。もう一つは、常滑・瀬戸・越前(福井県)・信楽(滋賀県)・丹波(兵庫県)・備前(岡山県)の六古窯を取り上げた「きっと恋する六古窯-日本生まれ日本育ちのやきもの産地-」です。文化財を単体として捉えるのではなく、総合的に活用できるようにストーリー性を重視しています。有田焼、伊万里焼(以上、佐賀県)や九谷焼(石川県)などの大陸由来の焼き物と異なる、日本生まれ日本育ちの焼き物に焦点を当てています。千年の時代を超えて中世の焼き物に恋をするそのようなイメージでしょうか。生産現場とモノの持つ印象を時代の移り変わりのなかで感じることができます。常滑ではやきもの散歩道を散策すると、凸凹の自然地形とその地形を利用して造られた登り窯や土菅坂など特徴的な景観を眺めることができま

おわりに

 今回は知多酒・知多木綿・常滑焼の三大ブランドに注目しましたが、このほかにも明治時代以降の近代化にともない知多半島産の全国ブランドが生まれました。名古屋に近い上野町(東海市)では、トマト・タマネギなどの西洋野菜を作られました。洋食が定着し始めると西洋野菜を原料にケチャップやソースが作られ、愛知トマト株式会社(カゴメ株式会社)が生まれました。また、南知多地域では、漁獲量の多いイワシの加工品が作られ、イワシの缶詰はヨーロッパで人気の高い製品でした。

 歴史的資源を活かした新しい取り組みも次々と増えています。2019年には、知多市岡田に知多木綿のアンテナショップが開設されました。綿(WATA)と匠(TAKUMI)が組み合わせ「WATAKUMI」のブランドです。また、2021年秋には、とこなめ陶の森資料館がリニューアルオープンします。これまで以上に体験できる場が充実し、大人もこどもも楽しめる施設になりそうです。

曲田 浩和 経済学部 教授

※2021年8月15日発行 日本福祉大学同窓会会報127号より転載

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