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指揮者 佐渡裕 夢がかなうまで

講演録
「指揮者 佐渡裕 夢がかなうまで」

出演:
佐渡 裕 氏(指揮者)
木之下 晃 氏(音楽写真家・日本福祉大学客員教授)
日時:
2012年5月13日(日)

※所属や肩書は講演当時のものです。

ベルリン・フィル・デビューを振り返って

木之下
まず、ベルリン・フィルにデビューされたご感想を聞かせてください。
佐渡
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佐渡 裕さん

指揮者として何十年もやってきて、子どものときの夢がかなう瞬間に今いるんだというドキドキ感がありました。カーテンコールの後、オーケストラが解散するときになっても拍手がやまない。オーケストラのメンバーに、「これはマエストロへの拍手ですから」と舞台に押し出されて、誰もいないステージに一人。信じられませんでしたね。
木之下
このときベルリン・フィルを3回振っていらっしゃるのですね。
佐渡
初日、2日目、3日目と、明らかに違う性格を持った3日間でした。オーケストラというのは本番で分かり合えるものがあるので、ベルリン・フィルの底力も初日に知りました。2日目は肩を組んで一緒に一つのものをつくっていくという感があったし、3日目はお互い息のあった、のりにのった演奏でしたね。
木之下
ドイツで最初に振ったのは?
佐渡
1994年ごろ、ベルリン交響楽団(現コンツェルトハウス管弦楽団)が最初ではないかと思います。その後、メジャーといわれるオーケストラはすべて振ったと思います。
木之下
ベルリン・ドイツ交響楽団とも、いろいろなさっていますね。
佐渡
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ベルリン・ドイツ交響楽団

去年、日本ツアーをしました。辻井伸行君がコンクールで優勝する1年前に、彼とコンチェルトを録音したのもこのオーケストラです。彼の場合、目が不自由だというハンディもあるので、辻井君が弾くとオーケストラが感動するのです。これはやっていけると思いましたね。
ヨーロッパではコンクールのことも日本ほどは報道されていないので、今も、初めての場所では辻井君はあまり知られていません。
目の不自由な彼がどうやって指揮者やオーケストラとコンタクトを取れるのかというところから始まります。でも、彼の技術がすごいことや、オーケストラとぴったり合うのが当たり前になっていくこと、そんなことよりも今鳴っている音楽が素晴らしいことに気付き始めるわけです。だから、純粋に音楽家に対して贈られる拍手ももちろんですが、人として、「自分たちは今、何て幸せな時間にいられるのだろう」という拍手なのです。
木之下
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木之下 晃さん

基本的に、音楽は人ですものね。

音楽との出会い

木之下
佐渡さんは小学校の卒業文集に「ベルリン・フィルハーモニー・オーケストラ(管弦楽団)の正指揮者になり、世界的オペラ歌手になる」という夢を書いていますが、音楽とはどんな形で出会ったのでしょう。
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小学校の卒業文集に書いた夢

佐渡
母親が家で歌とピアノを教えていました。僕も兄もピアノを習っていましたが、二人ともすぐに野球やサッカーに行きたがるような子どもでした。兄は中学に入るとピアノをやめましたが、僕は小学校を卒業するころには音楽家になりたいという気持ちがはっきりしていたので、ピアノは弾かなければならないと思っていました。
木之下
小学校のときに、小遣いでレコードを買ったそうですね。
佐渡
5年生のときに初めて買ったレコードが、バーンスタイン指揮、ニューヨーク・フィルハーモニック演奏の、マーラーの交響曲第1番「巨人」でした。マーラーブームがこれから始まるというころです。3年生のときに大阪万博があって、世界中の名指揮者が日本に来たのですが、そのときのバーンスタインによるマーラーの交響曲第9番があまりにも素晴らしかったのです。
家にあったカラヤンのレコードは触らせてもらえなかったので、自分のお小遣いで初めて買うレコードはカラヤンのライバルであるバーンスタインにしたのです。それで、大阪万博で評判を呼んだマーラーの、まずは1番を選びました。

フルート奏者としての活躍と指揮者へのあこがれ

木之下
小学校のときにリコーダーが得意で、そこからフルートを習いだしたのですね。佐渡6年生のときの担任の平井先生が趣味でフルートを吹いていて、「リコーダーが吹けるのだったら、フルートも吹けるよ」と言われ、試しに吹いてみたら音が出たのがきっかけです。木之下音楽を専門に学べる堀川高校に進んで、フルートの日本選抜として海外の音楽祭に参加されたそうですね。
佐渡
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世界選抜ユースオーケストラにて

高校2年生のとき、スコットランドで開かれたユースオーケストラの音楽祭に日本代表として参加しました。さらに向こうでオーディションがあって、世界選抜にも選ばれました。僕のほかにも、後に名古屋フィル、新日本フィル、東京フィルのメンバーになるような人が何人か入っていました。カルロ・マリア・ジュリーニという、本当に素晴らしい指揮者に指揮をしていただく機会もありました。
木之下
その後、京都市立芸術大学に進学されますが、指揮科ではないのですね。
佐渡
はい。指揮者になりたいという思いは子どものころから持っていましたが、周りには相談できる人がほとんどいませんでした。隣近所の方で職業が指揮者ということは、まずありませんよね(笑)。やがてフルートを始め、僕はフルート奏者としてオーケストラの中で指揮者を見ていたので、結局フルートで大学を卒業しました。ただ、音楽で飯を食っていきたい、それなら指揮をしようとは決めていました。ですが、プロのオーケストラの指揮者になれる人間はほんの一握りです。一方で、音楽の先生や吹奏楽部の指揮者という方法もあると気付きました。一番最初に指揮者として稼いだのは、大学在学中、高校の吹奏楽部の指揮でした。

指揮者を目指して

木之下
オーディションにはたくさん落ちたそうですね。
佐渡
名古屋フィルは2回落ちました。
木之下
もったいないですね。佐渡さんが形にはまっていないのは、指揮の専門的な勉強をしていなかったからですが、それがとても大きなことにつながっていきます。タングルウッド音楽祭でバーンスタインの指導を受けたとき、彼がすごいことを言っているのです。
佐渡
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彼が亡くなってから聞いたのですが、「ジャガイモのようなやつを見つけた。今は泥がいっぱい付いているけれども、その泥をきれいに取ることができたら、世界中の人たちが毎日食べるような音楽をつくるだろう」と言っていたそうです。僕にとって、それは今でも大きな宿題です。木之下タングルウッドを受験する指揮者の卵はみんな、既に形ができています。全くできていない人が目の前に現れたので驚かれたのでしょうね。佐渡名古屋フィルは2回とも最終審査まで残って、面接も受けました。1回目はまだ在学中で、「君を採らない。でも、すごく面白かったから、ぜひ頑張って勉強しなさい」と言われました。2回目はかなり自信満々だったのですが、落とされました。ただ、もしもそこで受かっていたら、タングルウッドには行っていなかったでしょう。木之下佐渡さんを見ていると、挫折は次へのステップだと思います。
実は、カラヤンの最後の来日となった1988年、僕が大阪のザ・シンフォニーホールで撮った写真に、聴衆の佐渡さんが写っていたのです。カラヤンが「おい、将来ベルリンに来いよ」という感じで彼を見ているのですよね(笑)。この夜、コンサートが終わった後に、私は知人を介して佐渡さんと初めてお会いしました。佐渡はい、僕が初めてカラヤンを生で見たコンサートでした。
木之下
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レナード・バーンスタイン氏と

佐渡さんは、その年の9月からウィーンへ行き、バーンスタインに師事されました。あるとき、佐渡さんから「一緒に写真を撮っていいと言われた」という電話があって、ムジーク・フェラインの楽屋でバーンスタインとツーショットを撮りましたね。佐渡彼はプライベートの記念写真はめったに撮らせませんでした。ですから、これは非常に貴重なことだったのです。木之下写真の様子から、いかに佐渡さんをかわいがっていたかが分かります。

指揮者としての活動

木之下
佐渡さんが新日本フィルでデビューされた1990年の秋、バーンスタインが札幌でPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)を設立しました。佐渡さんはこのときに小学校での音楽の授業を始めたのですね。
佐渡
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PMF子ども音楽教室

街からお金を頂いて音楽祭を開催するのですから、お返しに何かするべきだと思ったのです。全国から集まった先生方を対象に2泊3日程度の研修を組み、僕の子どもたちへの指導や、オーケストラのリハーサルを見てもらったり、音楽についてみんなで話し合ったりしました。音楽を教えるのではなく、人としてさまざまな世代が一緒に生きていることを実感できるものにしたい。そして、子どもたちに何かを届けたい。そのための自分なりの方法が小学校で音楽の授業をおこなうことです。
音楽が音楽だけで切り離されていたら、それは文化ではありません。人が一つの場所に集まって、目の前で空気が振動する。そのことで何か共有するものがあるわけですから、生のコンサートは大きな意味を持っていると思います。
木之下
佐渡さんは「富士山河口湖音楽祭」という吹奏楽が中心の音楽祭を監修なさっていますね。
佐渡
吹奏楽はどのジャンルよりも身近で、誰もが楽しめると思います。7~8割の中学校には吹奏楽部がある。小学校や高校、大学にもあるでしょう。オーケストラがえんび服を着てベートーベンを演奏するのもいいですが、吹奏楽はとても身近な音楽であることが魅力ですね。
木之下
音楽祭では中学生のブラスバンドの指導もなさっていますね。佐渡さんほどのキャリアを持った方が取り組まれるのはなぜでしょう?
佐渡
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富士山河口湖音楽祭での中学生特別バンド

僕自身、中学時代に吹奏楽部でフルートを吹いていました。レベルは決して高くありませんでしたが、下手なりにみんなと音を合わせることが幸福でした。逆に、ベルリン・フィルで自分がそういう幸福感に包まれなかったら、もうどうでもいいと思っていたでしょう。 僕にとって大事なことは、音楽をする幸福感です。今、吹奏楽の指揮をしているのも、もともと僕がそこにいて、そこに幸福感があることを知っていて、それを子どもたちに伝えたいからです。音楽祭で中学生の吹奏楽の指導を始めて十数年になりますが、学校の音楽の先生を目指して吹奏楽の指導をしているという生徒が出るようになりました。
木之下
音楽家を再生産しているのですね。毎年この音楽祭に連れていらしている兵庫のスーパーキッズ・オーケストラとは?
佐渡
阪神・淡路大震災から10年たって結成された、オーディションに合格した子どもたちによるオーケストラで、最も僕らしい音がします。
子どもと僕の間には鏡があって、自分の心に曇っているものがあると子どもたちの奏でる音も曇る。これは一般の大人と子どもの社会でも同じです。「最近の子どもは夢がない」と言う大人には夢がない。子どもたちも大人の姿を見ながら自分の姿を見ているのだから、大人も自分を見なければいけない。そこはお互いに甘やかしてはいけない。ぶつかっていくことが大事です。
木之下
このオーケストラは、岩手県の被災地にも行かれたのですよね。
佐渡
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スーパー・キッズ・オーケストラ3.11鎮魂のタクト

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ユネスコ本部でのジャポネード・オーケストラの演奏

被災地で音楽を聴いてもらうのは、あまりにもきれい事のような気がしてためらっていましたが、岩手の根浜海岸にある宝来館という旅館のおかみさんが、もしも来てくれるのなら大歓迎したいと手紙をくださったのです。それなら自分の思いを最も伝えられるスーパーキッズ・オーケストラを連れていきたいと思いました。海と道路に挟まれた松林の中での演奏でしたが、大聖堂にいるような不思議な空気に包まれました。
また、世界各国から寄せられた支援へのお礼と感謝として、今年3月11日にパリのユネスコ本部で演奏会を開催しました。ここでは、この日のためだけに結成されたヨーロッパの一流の音楽家たちによる「ジャポネード・オーケストラ」の演奏もありました。日本の元気がどんどん増していくことを願って最後に「ボレロ」を演奏し、アンコールでは合唱団も参加し、みんなで「故郷」を歌いました。

次なる夢は

木之下
次なる夢は何でしょうか。
佐渡
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ヨーロッパのどこかのオーケストラに腰を据えて活動できればと思っています。あるいは、ウィーン・フィルやアメリカのオーケストラも指揮してみたいですね。それに、ヨーロッパという音楽の本場でも活動もそうですが、日本の人たちにもっともっと音楽の喜びを届けたいとも思います。それこそバーンスタインの「ジャガイモ」ですね。
実際に指揮者になってからの方が、ベルリン・フィルは非常に遠いものだと感じていました。けれども、子どものときにそういう夢を描いていたからという思いがどこかにあったからこそ、どんなときもぶれずに「ベルリン・フィルの指揮台に立ちたい」と言い続け、そこにたどり着いたのだと、今になって思います。

指揮者

佐渡 裕

故レナード・バーンスタイン、小澤征爾に師事。89年「ブザンソン国際指揮者コンクール」優勝。ドイツ、フランス、イタリアなどを中心に世界中のオーケストラの客演を重ねている。2011年5月にはバイエルン国立歌劇場管、ベルリン・フィルにデビューを果たし、ドイツを中心に今後の活躍が一層期待されている。国内では兵庫県立芸術文化センター芸術監督、シエナ・ウインド・オーケストラ首席指揮者他、「題名のない音楽会」(テレビ朝日系列)の司会者を務める。

音楽写真家・日本福祉大学客員教授

木之下 晃

1936年、長野県生まれ。日本福祉大学卒。中日新聞社、博報堂を経て独立。音楽写真家として、音楽家やコンサートホールの撮影をライフワークとしている。1971年日本写真協会新人賞、1986年芸術選奨文部大臣賞、2005年日本写真協会作家賞、2006年紺綬褒章、2008年新日鉄音楽賞・特別賞を受賞。写真集は『世界の音楽家・全3巻』(小学館)『巨匠・カラヤン』(朝日新聞社)『石を聞く肖像』(飛鳥新社)など多数。最新刊に『最後のマリア・カラス』(響文社)がある。

※この講演録は、学校法人日本福祉大学学園広報室が講演内容をもとに、要約、加筆・訂正のうえ、掲載しています。 このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。

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