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日本思想の本質

文化講演会「日本思想の本質」

講師:
梅原 猛 氏(哲学者・国際日本文化研究センター顧問)
日時:
2010年7月11日(日)11:00~12:30

※所属や肩書は講演当時のものです。

哲学を志した幼少時代

 私は哲学の道を志して以来、仏教について探求し続けてきました。日本福祉大学の理念「福祉」と「共生」は、その思想と近いものがあると感じています。また、私の大の親友である動物学者の河合雅雄氏は日本福祉大学生涯学習センターの名誉センター長ですし、私が大ファンの中日ドラゴンズの浅尾投手もこの大学の出身と聞いて、一層好意を持ちました。この大学は、愛知県美浜町でも旧野間町の奥田という所にありますが、私が育った旧内海町から山を伝っていくと、奥田に出ます。そこにある大学からお招きを受け、幼年時代のことを思い出しました。

 私の両親は、私ができてまもなく結核にかかり、父は九死に一生を得ましたが、母は私が生まれて1年4カ月で亡くなりました。それで私は、子供がなかった伯父夫婦に引き取られています。養父の半兵衛は味噌醤油醸造業をしており、かなり裕福でした。しかし、少年時代の私はきっと孤独だったのでしょう。養父の買ってくれた相撲の絵はがきを毎日見て、絵柄を全部覚えてしまいました。ちょんまげの先やへそだけを見て、力士の名前を当てられたくらいです。ですから、小学校へ行く前は大変頭の良い子供でした。小学校へ入ってからは遊んでばかりで成績は芳しくなく、かろうじて私立の東海中学に入りました。

 しかし母は「猛はそんなに頭が悪くないはずだ」と、内海から通わせることにしたのです。東海中学は8時に始まりますから、6時のバスに乗らなければなりません。母は毎日4時半に起きて食事を作り、5時半に私をたたき起こして、学校へ送り出しました。私はそのとき密かに、母が本当の母でないことを知っていたような気がします。その母がこんなに私のことを思ってくれている。それで私は目覚めて、猛勉強しました。今の私があるのは、二人の母の執念のおかげです。産みの母は、私を産んだら死ぬと言われたそうです。それでも私を産んだ。そして育ての母は、4時半に起きて私を東海中学に通わせたのです。

 養父は当時、私を東大法学部へ入れて政治家にしたいと思っていました。それが父の夢だったのです。ところが私は、黙って京大の哲学科に願書を出しました。合格通知が来たとき、私は父に言いました。「私は一代の栄誉より、千年の真理を求めたい。一度だけのお願いですから、どうか私の希望をかなえてください」。父は大きな人ですから、「ええわい」と一言言っただけです。こうして私は哲学の道を進むことになりました。

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日本の基層文化

 日本には、1万年以上続いた縄文時代がありました。森があり海がある島国に、東日本を中心として狩猟採集文化である縄文文化が栄えたのです。狩猟採集文化は、生きとし生けるものとの一体感を持っています。山や川も木や植物や魚も、みんな人間のように生きているものだという考え方です。日本人の名字に山上や山尾など、山が付いているものが多いのは、山も生きているという思想から来ています。川合という名字は、二つの川がぶつかって一つの流れになる、それは川のセックスであり、神聖な場所なのだということを表しています。山も川も生きているという思想です。

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翡翠(ヒスイ)の原石

 縄文時代から弥生時代にかけて、一番の宝物はヒスイの勾玉でした。ヒスイは白の中に緑色がチラチラしていますが、それは雪の中から植物が顔を出す様子を連想させます。そういう植物の命のシンボルがヒスイなのです。その石から勾玉を作る。梅原末治という考古学者の説によれば、初期の勾玉はことごとく、鳥や魚や獣など動物の形をしていたそうです。ヒスイは植物の命、勾玉は動物の命を表しています。縄文時代および弥生時代の人たちは、植物の命、動物の命こそが神だとして、崇拝していたのです。

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ヒスイの勾玉

草木国土悉皆成仏の思想

 こうした思想が日本文化の根底にあるところに、仏教が入ってきます。奈良仏教はほぼ中国仏教そのままですが、平安時代になると日本独自の仏教が出てきました。平安仏教は最澄の天台宗と空海の真言宗に代表されます。天台は顕教、あらわの教えというもので、真言宗は密教といいますが、その二つを合体させた天台密教という思想が出てきました。これを唱えたのは円仁や円珍で、比叡山は天台宗の本山というよりは、天台密教の本山だったのです。そこから出てきた結論が、天台本覚思想というものです。

 鎌倉時代の新仏教には三つの宗派があります。一つは浄土系で、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗。もう一つは禅で、栄西の臨済宗、道元の曹洞宗。三つ目が日蓮の法華仏教です。この三つが日本で最も広まったのですが、これらの鎌倉新仏教はすべて天台本覚論に依って立つものです。

 天台本覚論は、「草木国土悉皆成仏」という考え方です。草や木も、国や鉱物も生きていて、仏性を持っている。そして、それらはすべて成仏できる。植物ばかりか、国や国土、すなわち鉱物や自然現象も実は生きているというわけです。浄土教の思想、法然や親鸞の思想にも、これは受け継がれています。日蓮もはっきりとそれを語っています。また、道元の思想にも、天地万物が成仏できるというものがあります。これは、実に縄文時代以来の伝統的な思想だといえるでしょう。

能と天台本覚思想

 この天台本覚思想を最も明確に表現するのが能です。私は80歳を超えてから日本の中世、特に能の研究を始めましたが、世阿弥は傑物です。私は『源氏物語』より能の方が好きです。光源氏という色男は、あまり好きになれません。モテ男で、もてるのが当たり前のような顔をしている。その上、『源氏物語』は貴族の悲しみしか描いていないのです。世阿弥は河原者でした。河原者というのは、社会の最下層にいる人間です。ですから、世阿弥は庶民の暮らし、最下層の民の悲しみを描いています。それは、世界に例を見ない素晴らしいことです。

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源氏物語

 例えば「善知鳥(うとう)」という作品があります。これは青森県の外が浜で、善知鳥という鳥を殺してしか生きられない人間の話です。善知鳥の親が「うとう」と呼ぶと、土の中にいた子供が「やすかた」と答えるのです。そのまねをして、猟師が「うとう」と言うと、「やすかた」と子が答える。そして、猟師はその子供を殺して親を殺す。こういう最下層の民、外が浜の猟師の悲しみを描いているのです。

 親鸞は、悪人正機説を唱えました。救われるのは悪人だと。人はすべてどこかに悪を持っている。親殺しをするようなパーソナリティを持っている。そのような悪人である自分を懺悔して念仏を唱えれば、阿弥陀仏が救ってくれる。そういう思想が親鸞の思想ですが、能の中でもまさに悪人というより悪獣成仏という思想が、「鵺(ぬえ)」という作品に描かれています。

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能 「善知鳥(うとう)」
画像出典:IPA ※1

 世阿弥の能では、特に女性の苦しみを描いた曲が素晴らしいです。例えば「砧(きぬた)」では、妻は都へ行って3年も帰らない夫を思い、この音が都へ届いて夫が帰るようにと祈って砧を打つのです。ところがその年も夫は帰らない。そして、妻は夫恋しさに狂い死にをする。後場になると、夫が悪いことをしたと言って妻の霊を呼び出すのです。妻の霊は「今は愛欲地獄に落ちて、地獄の獄卒がむちを打つような苦しい生活をしている」と地獄の苦を語り、「私は一生懸命砧を打ったのに、どうしてあなたにそれが聞こえなかったのか」と、精一杯の恨み言を言うのです。すると、夫を思って打った砧の音が法華経の読経の声に通ずるというので、妻は成仏できるという話です。

※1 画像出典:IPA「教育用画像素材集サイト」より
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/

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善知鳥

 こういうものを読むと、『源氏物語』よりも世阿弥の能の方が、女性の悲しみがより深く描かれているように思います。『源氏物語』は一夫多妻制の上に立つ貴族文化ですが、日本の民衆は一夫一婦制の上に立っています。私は、その方が道徳的に正しいと思います。世阿弥はそれを見事に描いています。

 それから、「白楽天」という能がまた面白いのです。日本の国情を探りに筑紫にやって来た唐の詩人・白楽天を、住吉明神が老漁師の姿に化けて迎えます。そこで、二人の間に問答が行われます。白楽天は「中国には素晴らしいものがある。それは詩だ」と言い、いろいろな詩を口にするのですが、住吉明神はすぐに「それを日本の歌にすればこんな歌になる」と言い返します。

 そういう問答を通じ、中国の詩と日本の和歌が比較されます。詩を詠むのは人間に限られ、特に中国ではインテリだけのものとされていましたが、日本では日本人すべてが歌を詠む。しかも、人間ばかりか鳥や獣も歌を詠むという話になります。『古今和歌集』の序文には、ある人が死んでウグイスになって歌を詠んだ、ある人は死んでカエルになって字を書き歌を詠んだという話が伝えられています。そればかりか、自然の音、松に風が当たる松風の音も波の音も、歌だと言うのです。その結果、白楽天が議論に負けて、中国へ逃げ帰るという話です。

 先ほどの「草木国土悉皆成仏」という思想は、中国やインドにはありません。インド仏教において、衆生とは人間と動物に限られ、植物は衆生から排除されます。釈迦は歩くときもアリを踏みつけないように下を向いて歩いたと言いますが、衆生は動物まででした。ところが日本では、衆生に植物も入るのです。植物も生きている。そればかりか、自然現象も国土も生きている。そういう思想は中国の天台思想にあります。これは道教の影響を受けたもので、それが日本に入ってきたのですが、中国ではそれが主流になりませんでした。日本でそれが主流になったのは、日本文化の根底に「草木国土悉皆成仏」という縄文文化以来の伝統があったことが大きいと思います。それが俳句などにも受け継がれていくのです。

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人間中心主義のヨーロッパ思想の行き詰まり

 西洋思想は自然との共生の思想ではなく、自然支配の思想です。それは、ソクラテス、プラトンにまでさかのぼります。彼らは、人間にはヌース(理性)があり、その意味で他の動物より優れており、他の動物を支配する権利を持っているのだと考えました。その思想が受け継がれてキリスト教になるわけです。

 キリスト教でも、人間は神の似姿である理性を持っているとされる。それによって、人間は他の被造物を支配する権利を神によって与えられているという考え方をとります。こういう考え方が近代哲学、例えばデカルトの哲学になります。そこには、もう神様はいません。そして「我思う、ゆえに我あり」、理性的な我(われ)が世界の中心に座ったのです。その理性に対して立つのが自然世界です。

 自然世界は無機的な世界です。そして無機的な自然世界は、自然科学の法則によって左右される。その科学的法則を知ることによって、人間は自然を支配することになる。その支配する方法が技術である。そのような科学技術文明の原理がデカルトやベーコンによって作られ、18世紀の産業革命以来の西洋文明を育み、人々は驚くべき富と便利さを獲得しました。そして、西洋諸国はその文明を使って西洋以外の国を植民地としてきたわけです。日本もこの文明を明治時代に採用し、アメリカに次ぐ世界第2位の経済大国になりました。

 ところが今や、こうした文明の発展によって自然破壊、環境破壊が起こっているのです。それによって、どれだけの動物や植物が犠牲になっているか知れません。そして、地球までもがおかしくなってしまいました。放っておけば、人類は滅亡するより仕方がないという危険信号が出ているのです。しかし、なかなか豊かな生活はやめられない、旧来の国家主義思想をどうしても克服できないというのが現状です。

人類の思想的使命

 私はこうした現状を見て、人類の思想的使命は、西洋近代思想を批判して新しい文明の原理を作ることではないかと考えるようになりました。西洋思想をもっとも取り入れたのは日本で、しかも東洋の伝統も知っています。だから、この使命が果たせるのは日本しかないと思うのです。そのためには、野蛮人で教養人でなければいけない。いわば「文化的野蛮人」の持つ野蛮のエネルギーが必要だということです。しかし、日本の哲学者にはそんな元気はありません。ですから、やはり私がそれをやらなければなりません。

 私はもう85歳ですから、あとどれだけ生きられるか、健全な頭でいられるか心許ないものはあります。しかし、自分のためではなく、日本人のために、人類のために生きなければならないと痛切に感じています。

哲学者・国際日本文化研究センター顧問

梅原 猛

大正14年(1925)、仙台市生まれ。京都大学文学部哲学科卒。 立命館大学教授、京都市立芸術大学学長、国際日本文化研究センター初代所長などを経て、現在、同センター顧問。日本ペンクラブ会長も務めた。平成11年(1999)、文化勲章受章。
著書に『隠された十字架 法隆寺論』(毎日出版文化賞)、『水底の歌 柿本人麿論』(大佛次郎賞)、『ヤマトタケル』(大谷竹次郎賞)、『日本人の「あの世」観』、『京都発見』、『梅原猛の授業 仏教』、『歓喜する円空』など多数あり、二期にわたる『梅原猛著作集』が刊行されている。縄文時代から近代までを視野に収め、文学・歴史・宗教等を包括して日本文化の深層を解明する幾多の論考は(梅原日本学)とよばれる。近著『神と怨霊 思うままに』『うつぼ舟Ⅰ 翁と河勝』『うつぼ舟Ⅱ 観阿弥と正成』『葬られた王朝 古代出雲の謎を解く』。

※この講演録は、学校法人日本福祉大学学園広報室が講演内容をもとに、要約、加筆・訂正のうえ、掲載しています。 このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。

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