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経営者に学ぶ社会を生き抜く力

経済学部開設40周年記念事業講演会
「経営者に学ぶ社会を生き抜く力」

講師:
樋口 武男 氏(大和ハウス工業株式会社 代表取締役会長兼CEO)
日時:
2016年11月26日(土)

※所属や肩書は講演当時のものです。

1.大和ハウスへの転職

 私は20歳のとき、絶対に一人前の事業家になってやるという夢を抱きました。大学2年のとき、たまたま家にいたら、母が整理だんすから着物を出して風呂敷に包んで質屋に出掛ける姿を見てしまったことがきっかけで決心したのです。

 大学卒業後は鉄鋼商社に入り、2年ほど勤めている間に会社の仕組みや書類の流れ、商用手紙の書き方などを自分なりにひととおり勉強することができました。そして、その会社の専務に「私は夢があるので転職したい」と申し出、大和ハウスに入ることに決めました。周囲は反対しましたが、女房に「今の状態のままで慣れるのが怖いからチャレンジしたい」と話したら、女房は「うまくいかなかったときに愚痴だけは言わなければ、好きなようにしていい」と言ってくれました。そうして大和ハウスの門を叩きました。

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 その年の11月に長女が生まれる予定だったので、歩合制では収入が不安定になると思い、正規社員として面接してほしいと人事課長に頼みました。「あつかましいことを言うね」と言われましたが、鉄鋼商社での知識が奏功して専務の面接に合格することができました。

2.支店長時代の苦労

 最初の勤務先は堺工場で、鉄パイプの在庫管理が主な仕事でした。片道約2時間をかけて通勤し、帰るのは大体夜の12時ごろでした。しかし、自分の会社をつくりたいという夢があるので、これも修業だというプラス思考で仕事をしました。人間というのは不思議なもので、プラス思考とマイナス思考とでは全く違うのです。どんどんと役職も上がり、36歳のときには山口支店の支店長になりました。

 しかし、赴任して半年で私は四面楚歌になりました。私は社長の代理人ですから、社長になったつもりで厳しくしたため、部下が怖がって寄ってこなくなったのです。創業者の石橋信夫は、新しい支店長が赴任すると大体6か月前後に見に来るのですが、支店長は赴任したら地元の要職者と3か月以内に全員会っておけと言っておられました。それを守らなかった人はみんな支店長止まりで、そこから上に行った人はいません。私は当然、知事にも市長にも全て会っていました。その辺は非常にめりはりがはっきりしていて、まともなことをきちんとしていれば、創業者は闇雲に怒るわけではありませんでした。

 山口支店に来られた創業者は勘の鋭い人ですから、私が悩んでいることが分かったのか、旅館に食事に誘われたのです。風呂にも一緒に入って、私は「支店長がこんなに孤独になるとは思いませんでした」と洗いざらい愚痴を言いました。創業者は何も言わずに聞いてくれて、「長たる者、決断が大事やで」と言われたのです。その一言だけで他に話す余地もありませんでした。

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 家に帰って、何を決断しろと言われたのか、ずっと考えたのですが、自分なりに結論を出したのは、お互いに分かり合うことが大事だということでした。自分は張り切り過ぎて、一人だけで走っていると考え、朝と夜に1人ずつ、部下全員と話したのです。私も言うことは言いましたが、部下にも思っていることを全部言ってもらいました。すると、こちらがやかましく言う必要がなくなったのです。赤字だった支店は何と2年目に1人当たりの売上高と利益で全国一になりました。みんなのおかげで私は役員手前の1級職に上がることができました。

 その頃、九州地区の母店である福岡支店が赤字だったので、建て直しを命じられて福岡支店長に赴任しました。赴任して真っ先に感じたのは、赤字続きの支店だったため、覇気がないということです。そこでまず、電話が鳴ったらすぐに取らせて、元気で明るく応対させるようにし、朝礼でも社員に大きな声で話させるようにするなど、凡事を徹底することで伏し目がちだった状態を改善することから始めました。

 そして、実際に懐具合が変われば一番早く意識が変わるだろうと考え、岡山ネオポリスの販売に力を入れました。岡山ネオポリスは当社が造った中で一番大きい団地でした。私は知り合いの会社経営者などに声を掛けて、数区画を販売しました。そして管理職を集めてそのやり方を教えて販売を指示しました。こうして福岡支店は黒字に転換することができました。黒字になれば、社員にボーナスを支給することもできます。こうして絶対に勝たなければならないことを教え、山口支店と同じように上向きのリズムになっていきました。

3.人の縁

 福岡支店2年目のとき、ものすごく大きなチャンスが訪れました。地元の小田弥之亮先生という土木工学博士と知り合いました。先生は、先祖伝来の山を開拓して約650区画の団地を造りました。各社がその土地の販売をねらって日参していましたが、私はその販売を一手に任されました。その上、先生はご自身の財産を私に任すから「それを元手にして事業をしませんか」と私に言ってくれたのです。そのときは、20歳のときの夢がまさに実現しそうになったので、飛び上がらんばかりにうれしく思いました。しかし、会社が期待してくれているのに、裏切ったら自分の運気が逃げるかもしれないと考え、一晩考えた上で、丁寧にご辞退させてもらいました。

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 小田先生は肺がんで亡くなられたのですが、家族以外面会謝絶のときでも私にだけは顔を見せてくれて、親子のような関係になりました。人の縁というのは、どこにあるか分かりません。

 小田先生の話は断って正解でした。なぜなら、翌年に私が倒れて入院したからです。自分の都合だけ考えて、飛びついて会社を興していたらつぶれていたでしょう。人の道を守ることがいかに大事かということを、そのとき肝に銘じました。

 大和ハウスの場合、何を錦の御旗としていくべきかがはっきりしています。それは創業者精神を継承することです。創業者は33歳で会社を起こし、40年で売り上げ1兆円企業に育て上げました。その後ご子息を社長にしましたが、一時売り上げは8000億円台にまで下がり、創業者は「大和ハウスもここまで来たら社会の公器なのだから、どのようなことがあってもつぶすことはできない」と、断腸の思いでご子息を社長から外しました。

4.創業者からの薫陶

 その頃私は、創業者から命じられて赤字になったグループ会社・大和団地の再建に出ていました。再建を命じられた時、私は「私の能力では無理です」と断りました。すると、ものすごい勢いで怒られました。本気で怒られたのは、後にも先にもあの1回だけです。そして、一呼吸置いて、「山口支店でいい経験したやろ。福岡でも苦労したやろ。俺はずっと見てきたから頼んでいるのに、何が不服か」と言われました。私は、そこまでおっしゃっていただければ男冥利に尽きると思いました。そうして55歳のとき、大和団地の社長を務めることになり、2年で黒字化、7年で復配に導きました。その後2001年から大和ハウスの社長に就任するのですが、その間に創業者に何度もテストをされました。

 昔は社内にも派閥のようなものがあって、当時の専務や常務、副社長ともけんかをしたのですが、それができたのも、絶対的な創業者が何をベースに考えているか、会社のために良いことか悪いことかという基準で考えたからです。いくら権力があっても、肩書きでものを言って会社にとって良くないことをすれば、創業者はきっと許さないでしょう。それがオーナー経営者の素晴らしいところだったと思います。

5.ベンチャーへの投資

 当社は創業62年目で、今年度の売上高は3兆4600億円と見込んでいます。私は、創業者が「100周年のときに10兆円の企業群を形成することが俺の夢や」と言っておられたことが頭から離れません。売り上げを10兆円に乗せるいうことばかり考えています。今の事業スキームで5兆円までは行けるでしょうし、海外にもう少し広げれば6兆円まで行けるかもしれませんが、10兆円には届きません。勢いだけで海外へ行ったら、回収に苦労して撤退したスーパーゼネコンと同じ轍を踏むことになるでしょうから、世の中の多くの人々の役に立ち、喜んでいただける商品を造り、それを販売することを考えています。

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 そういう商品として最初に投資したのは、サイバーダインというロボットスーツのベンチャーでした。筑波大学の近くに工場と研究所を40億円ほど掛けて造り、出会ってから9年で上場しましたので、一部株式を売却して出資した元手を回収し、第2、第3のベンチャー支援を考えました。

 現在は、ランドロイドという世界初の全自動衣類折りたたみ機を開発したベンチャーを支援しています。機械に従って乾燥した洗濯物を入れれば、折りたたみ、収納までを全部ロボットが行います。一般家庭の主婦にすれば、家事の時間を短縮でき、自由な時間を確保することができます。来年の3月に発売予定で、やがては上場する目標を立てています。

 そして、半身麻痺などで苦しむ方々のための足こぎ車いす「COGY(コギー)」も支援しています。片方の足を動かすと、動かない方の足が一緒に動いてくれる仕組みで、ベンチャーが東北大学と組んで開発しています。耳が聞こえにくい人のためのスピーカー「comuoon(コミューン)」という商品も支援しています。

 このように、ベンチャーがいい物を開発しているけれど、世に出す方法が分からない場合があるので、支援することで相手の事業も成り立ちますし、こちらにもプラスになって、WIN-WINの関係になるわけです。併せて、世の中の人々の役にも立ちます。

 当社ではシルバー関係の事業も展開しています。介護付きや住宅型の有料老人ホームを熱海や茅ヶ崎に持っています。その他に、東京電力が手放した介護付き有料老人ホームを含め東京都内と横浜に4カ所を所有しています。そこに見学へ行くと、女性の所長は「看取りは辛いけれど好きです」と言っていました。こうした仕事は、看取りが嫌な人ではできません。そうすると、人材がだんだん限定されるわけです。

 一番困るのは、寝たきりになったときに満員だと言われて施設に入れないことです。しかし、それは満員だからではなく、介護する人がいないからです。そうなると、家で面倒を見なければならなくなります。そこで、「マインレット爽」といって、センサーが感知して排泄の世話を全て自動的に行う装置を開発したベンチャーも支援しています。私も会長室の隣で実際に試してみたところ、小用は快適ですが、大の方はまだ不十分と感じました。今はパーフェクトな状態にするために研究を継続しています。

6.売り上げ10兆円に向けて

 今、ベンチャーを4~5社、育成しています。その中からヒット商品が出てくれば10兆円が見えてきます。創業者が売上高1兆2000億円ぐらいのときに10兆円という目標を掲げてくれたことに、今は感謝しています。8倍以上のとてつもない数字を言われたわけですから、8倍以上頑張らなければなりません。本気になって取り組もうと思えば、今の請負稼業だけでは届かないというのが結論なのです。

 請負稼業だけでは、人手が多くかかり、効率が悪い。しかし、相手とWIN-WINの関係になれる商品をつくり、世界中にパートナーを見つけて代理店として販売してもらえば効率的です。創業者が私に教えてくれたのは、何をしたらもうかるかではなく、どういう事業や商品が世の中の役に立ち、喜んでもらえるかが重要だということです。

7.創業者の教えを受け継ぐ

 1959年、弊社がミゼットハウスを発売して、飛ぶように売れた頃、大手企業から2億円ほどで商品とアイデアを譲ってほしいと頼まれましたが、創業者は「技術は売るものではない」ということで思いとどまり、それがプレハブ住宅に進化しました。

 パイプハウスも、ミゼットハウスも、プレハブ住宅も、当社が初めて造った商品です。全て人まねではなく、創業者が自分で創意工夫して開発した商品です。創業者は色紙によく「創意工夫」と書かれたのですが、全国を自分の足で歩き、世の中の流れをよく見て、どのような商品や事業にすればいいかを常に考えておられました。創業者は徹底した現場主義でした。ですから、土地を買う時は「あの辺ならいいだろう」と思っても、オーナーに報告する前に自分で一度見ておかなければなりません。人の話を鵜呑みにしては駄目なのです。

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 経験を積んでおくことは、ものすごく大事です。創業者は自分の姿を見せながら、そのように教えてくれました。「会長、よく頑張られましたね」と言われても、「頑張ったのは社員であり、そうさせてくれているのは創業者の考えだ。これから先も、創業者・石橋信夫の精神を軸にしてやっていけば間違いない」と、内にも外にも言っています。

 当社の場合は創業者あっての大和ハウスですから、その考え方はずっとブレていません。それは、心底そのように思っているからであり、考えがブレないことはものすごく幸せなことだと思っています。

 将来にわたって社内にずっとその思いが受け継がれていけば、創業者が夢だと言っておられた「創業100周年に売上高10兆円の企業群」は達成できるのではないかと思っています。そのためには多くの人々の支援が必要ですので、今後ともよろしくお願い申し上げます。

大和ハウス工業株式会社 代表取締役会長兼CEO

樋口 武男

1938年 兵庫県生まれ。
1961年 関西学院大学法学部卒業。
1961年 鉄鋼商社 大源入社。
1963年 大和ハウス工業入社。取締役、常務取締役、専務取締役を歴任。
1993年 債務超過寸前に陥ったグループ会社の大和団地の代表取締役社長に就任し、1995年に同社を黒字転換させる。
2001年4月 大和ハウス工業と大和団地の合併を機に代表取締役社長に就任。
2004年4月に現職。就任後は海外展開を加速させるとともに、福祉、環境、健康などへも事業領域を広げ、2016年3月期には住宅・建設業界初の売上高3兆円を達成した。
2012年3月 日本経済新聞「私の履歴書」を連載。
2014年4月 旭日大綬章受章
<主な著書>
『凡事を極める 私の履歴書』(日本経済新聞出版社)、『熱湯経営』、『先の先を読め』(文春新書)、『熱い心が人間力を生む』(文藝春秋)

※この講演録は、学校法人日本福祉大学学園広報室が講演内容をもとに、要約、加筆・訂正のうえ、掲載しています。 このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。

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