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高齢者の社会的孤立をめぐる地域福祉実践の評価と課題

文化講演会
「高齢者の社会的孤立をめぐる地域福祉実践の評価と課題」

講師:
斉藤 雅茂 社会福祉学部准教授
日時:
2015年9月26日(土)

※所属や肩書は講演当時のものです。

孤立死問題への関心の高まり

 私は埼玉大学教育学部を卒業後、上智大学大学院の修士課程と博士課程で社会福祉を学びました。2009年から日本福祉大学地域ケア研究推進センターに赴任し、2012年からは教鞭を執っています。社会老年学を専門にしており、日本老年社会科学会や日本社会福祉学会、日本公衆衛生学会、日本疫学会などに所属しています。大学では社会福祉調査論や地域社会学、地域研究プロジェクトや実習指導などを担当しています。

 現在、日本の高齢者は約3000万人ですが、2030年には独居高齢者が約700万人になるとの推計があります。「高齢者世帯」には、夫婦のみ世帯や子どもと同居している世帯、その他がありますが、夫婦のみ世帯よりも独居高齢者の方が多くなり、2020年には高齢者世帯の3割を超え、その後は4割になるといわれています。そういう意味では、独居高齢者は高齢者世帯で決して珍しくない世帯構成といえます。

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 2009年に内閣府が、孤独死(誰にも看取られることなく、亡くなった後に発見される死)について、身近な問題だと感じるかどうかを尋ねた調査結果があります。男性も女性も約4割が「非常に・まあまあ身近に感じる」と回答しています。少なくとも30~40年前と比べると孤立死問題への国民の関心は高まっていると考えられます。

高齢者の社会的孤立に関する研究の到達点

 新聞では「孤立」と「孤独」が混同されていますが、学術的には明確に異なる概念です。「孤独」は主観的なもので、仲間付き合いがないことによって、好ましからざる感情、つまり、寂しくてつらいというような感情を抱くことです。一方、「孤立」は人との交流がないという客観的な状態のことです。従って、「孤独死」は、周りの人に見守られていようが、寂しさを抱えながら亡くなるもの、「孤立死」は、誰にも看取られず、死後何週間も発見されないようなものを指すはずです。

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 老年学の分野では1970年代から「老いと孤立(高齢者は孤立しているのか)」という古典的な命題がありますが、これは誤解であることが既に確認されています。国内外内のこれまでの研究によれば、より厳密な基準で捉えると高齢者の1割弱、やや広く捉えると1~3割程度という結果が示されています。私たちが行ったいくつかの調査でも、独居高齢者に占める孤立者の割合は1~2割ぐらいで、少なくとも7~8割くらいの高齢者の方はさまざまなお付き合いを持っていることが確認されています。ちなみに、人との交流が月1回未満の人の割合は、中山間地域が約5%だったのに対して大都市では約10%と、都市部ほど孤立傾向の高齢者が多い可能性があることも示唆されています。

 では、どういう人が孤立しやすいのか。まず、男性のようです。女性で孤立している人の方がより深刻であるということもしばしば指摘されていますが、孤立しやすさでいくと男性のほうがそのリスクが高いことが国内外で報告されています。また、年齢が上がれば上がるほど、家族や親しい友人の喪失や自身の健康状態の変化に伴って、孤立へのリスクが高くなるといわれています。ほかにも、未婚者あるいは子どもがいない方、低所得の方が孤立しやすいことが報告されています。とくに、経済状況に関しては、人との付き合いというのは意外にお金が掛かることもあり、収入が少ないとそうした交際費を削らざるを得ないことを示しているといえます。また、虚弱ないし生活機能に障害がある高齢者のほうが孤立しやすいことも報告されています。この傾向は、私たちの研究では都市部よりも中山間地域の方が顕著にでました。交通網が充実している大都市では、多少歩行が困難になっても外出して人と会うことがある程度はできるのに対し、中山間地域などの地方部ではそうはいかないということを示唆するものと考えます。

孤立は本当に問題なのか

 「孤立は単に人との交流が乏しいだけ。人嫌いは本人の嗜好、選択の結果だろう」という意見があります。海外でも「自ら望んだ孤立(voluntary isolation)」という指摘もあります。しかし、孤立とは単に人との交流が乏しいだけではないことが様々な研究により確認されています。たとえば、社会的な支援の乏しさがあげられます。私が関わった研究では孤立している人の8割がちょっとした用事を頼める人や、緊急時に看病や世話をしてくれる人もいないという結果でした。アメリカの研究では、孤立した高齢者は公的なサービスの利用から疎遠になりがちだといわれています。孤立していると単に人との交流が乏しいだけでなく、何かがあったときに支援が受けられないという点で問題だと思います。

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 また、孤立している人の多くは、強い孤独感を抱えていることも問題といえます。ある研究で、孤立している人を幾つかの群に分けてみると、生活状況が良好な人が約3割でしたが、約7割は低所得、不健康、住環境の悪さ、虚弱という他の問題を同時に抱えており、強い孤独感を抱えているという結果が示されています。

 フィンランドでは、社会的孤立は自殺と関連することも確認されています。自殺した人の家族や職場、友人、知人に調査したところ、自殺した人の2~3割は親しい異性がいなかった、4~5割が共通の趣味のある友人がいなかった、4割が子どもがいませんでした。生きていく上で自殺の引き金になりうる辛い出来事は頻繁にありますが、その出来事が発生したときに孤立していると「自殺」という選択に直結しやすいといわれています。

 孤立は、健康余命にも関連するといわれています。Holt-Lunstadらの研究によると、社会的な交流が豊かな人は1.5倍早期死亡のリスクが軽減されるようです。たばこを吸っていると1.5倍ぐらい早く亡くなりやすいそうですが、これと同じくらいの影響力があるのです。私たちの研究においても孤立していると1.2倍、孤立していて貧困だと1.3倍早く亡くなりやすいということが確認されています。

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 ところで、人との交流が乏しいというのはどの程度なのかということで、健康な高齢者を10年間追跡してみました。すると、毎日頻繁に人付き合いをしている人を基準にして、電話したり会ったりする頻度が1日1回ぐらいの人ではあまり差がなく、月1回から週1回未満になると1.3~1.4倍ぐらい要介護や認知症になりやすい、月1回未満になると1.3倍死にやすいという結果でした。人との交流が「週1回未満」という状況が健康に影響を及ぼすほどの交流の乏しさであることが示唆されています。

 また、孤立は高齢者の犯罪とも関連している可能性があります。犯罪白書によると、10年前に比べて高齢者の犯罪率が2.3倍になっており、この間の高齢化を考慮しても高齢者の犯罪が増えているといえるそうです。法務省の報告書には、窃盗であれ、介護疲れによる殺害であれ、孤立した人が犯罪に向かっているのではないかということが書かれています。データで見ても、人との交流がない人ほど受刑歴があるという形になっています。もちろん、受刑歴がある人だから親族との縁が切れたり、友人との縁が切れたりすることもあるので関連している可能性があるという程度ですが、人との交流をきちんと持てる社会にすれば高齢者の犯罪は減るのかもしれません。

地域福祉実践の評価と課題~今後求められるであろう三つの視点~

 高齢者の孤立改善や軽減に向けて、さまざまな取り組みが全国各地で進められています。例えば千葉県の常盤平団地の事例は非常に有名で、千葉県では地域福祉支援計画に孤立死の問題を盛り込んでいます。

 イギリスの「Preventing Social Isolation and Loneliness among Older People(Cattan 著)」という書籍には、高齢者の孤立や孤独軽減に向けた受けた主なプログラムが8つ書いてありました。①趣味活動やパーティ、②訪問支援、③電話相談・相談支援、④低価格の配食サービス、⑤サービスの利用案内、⑥エクササイズ・身体活動、⑦移動支援、⑧料理教室の8つです。しかし、いずれも日本でサロン活動、見守り活動、相談事業といった形で同じようなプログラムが進められており、海外をみれば先進的なメニューがあるというわけではないといえます。

 他方で、総務省は2013年に各行政機関に「高齢者の社会的孤立の防止対策等に関する行政評価・監視結果に基づく勧告」を出しています。ここには、さまざまな社会的孤立に関する事業が実施されているが利用実績が低過ぎる、きちんとニーズを把握できていないのではないかという点が指摘されています。ある市町村では、安心生活創造事業の利用者は3人でした。また、地域商業活性化補助事業による買い物代行サービスの目標達成率は0.9%でした。そして、事業の目標すら設定していないことも問題視されています。調査対象の75機関のうち、補助事業によってどんな成果を期待しているのか、どうなることを目標にしているかを示していないところが57.3%もあったようです。それでは効果も分からないし、評価のしようもありません。研究者も含めて、社会的孤立の問題を考える上で幾つか必要な視点があるのではないかと思います。

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 必要な視点の1点目は、効果評価の前提としてのプロセス評価です。プログラム評価には段階があるのが定説です。1番目は、そのプログラムを行うニーズがあるかどうかの評価。2番目は、そのニーズに対応するための適切なデザインを描いているかどうかの評価。3番目は、プログラムのプロセスと実施のアセスメントです。その上で、ようやく4番目としてアウトカムが評価でき、効果が分かった上で、5番目に効果と費用が見合っているのかを評価します。プロセスとは、参加すべき人が参加したのか、脱落者はどれぐらいいたのかという評価をすることです。

 たとえば、ある地域で独居高齢者へ見守りサービスの評価を行ったところ、女性に比べて男性が1.7倍、死別した人に比べて離婚や未婚の人が2.1倍、長く同じ家に住んでいる人と比べて最近転居した人が2.7倍、持ち家の人と比べて民間賃貸住宅の人が3.4倍、見守りサービスを利用していないという結果でした。公営住宅は低所得の方が多いと思いますが、そこそこ見守られているようです。民間賃貸住宅はオートロックなので、民生委員が中に入れないからではないかと思われます。また、友人等との付き合いが週1回以上ある人に比べて週1回未満の人が1.6倍、日常的にちょっとした困りごとなどの手助けをしてもらえる人がいる人に比べて、いない人が1.8倍、見守りサービスを利用していませんでした。つまり、今のサービスの提供の仕方では、本来は見守られるべき人たちが見守られていないということが確認できたわけです。その原因を探ると民生委員による訪問に限界のあることが分かり、次の一手をどうするかが課題になっています。

 他の地域でも同様の評価を行ったところ、女性よりも男性の方が見守り体制が弱いことが確認されました。そして、そういうデータを示すと、地域の雰囲気が変わったそうです。活動成果が見えることで、「定例会議で交わされる意見や内容が具体的になった」「地区の課題が共有されて自主的に新しい事業が提案・実施された」という意見を頂きました。プロセス評価は実践への波及効果もかなりありそうです。周囲から「効果」や「効率」とプレッシャーをかけられることもあるようですが、その前にプロセスをしっかり見る必要があると思います。

 必要な視点の2点目は、質の高いデータの蓄積と分析者の確保です。評価に耐えられるデータの蓄積が進んでいるところと進んでいないところの格差がかなりあるように思います。要支援者に対する地域福祉活動はかなり進んでいますが、その成果や課題を見える化する仕組みづくりは遅れているといえます。今のメニューをしっかりと評価し、課題を明らかにするのが次の課題だと思います。そのためには、データベースの構築が必要になります。データ化するのは大変だと思う方も多いですが、工夫してデータを構築すれば、むしろ業務負担の軽減になるはずです。成果を見える化することは、活動の担い手のモチベーションにつながり、次の活動の展開に向けた波及効果を生む可能性もあります。

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 また、集計の仕方が分からないからデータに触るのが怖いといった理由で、データがあっても使われない事例が後を絶ちません。データを活用できる人材がいなければ、あるいは育てなければ、データはごみになってしまいます。記述統計を正しく読み、出力するトレーニングが必要だと思います。今は統計に関して、分かりやすいテキストがたくさん出ていたり、動画がYouTubeなどに上げられたりしていますし、本学でも大学院の公開講座を開いています。それらを活用しつつ、少しずつ身に付けて頂ければと思います。

 必要な視点の3点目は、地域単位での評価です。介護予防事業でも地域診断が進行中ですが、地域環境が衰退しているところは高齢者が孤立しやすいことが示唆されています。国内のデータを見ても、お祭りなどが衰退している地域では高齢者が閉じこもりやすい傾向にあることが示されています。また、見守り活動への参加割合が高い地域では閉じこもりが少ないという結果があります。社会福祉実践および研究では、個人の特性・背景要因に目を向けることが多いですが、そうした個人に焦点をあてるハイリスク戦略には限界があります。たとえば、人々が孤立しにくい地域のような地域全体を底上げするポピュレーション戦略という観点からの分析や取り組みの蓄積が必要だと考えます。

斉藤 雅茂 社会福祉学部准教授

※この講演録は、学校法人日本福祉大学学園広報室が講演内容をもとに、要約、加筆・訂正のうえ、掲載しています。 このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。

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