身近な話題が「ふくし」につながるWebマガジン

持続可能な社会づくり

研究紹介
「持続可能な社会づくり」

千頭 聡 国際福祉開発学部教授

※所属や肩書は発行当時のものです。

 3月11日に突然東日本を襲った未曾有の大震災は、東北関東地方を中心に甚大な被害をもたらしました。また、福島原発の事故により、安全だ、安全だと信じさせられてきた原発が、実はきわめて不安定で不完全な技術に依っていることを思い知らされました。犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々の生活が一刻も早く元の穏やかな状態に戻ることを願っています。

 ゴールデンウィークに、17名の学生とともに、名取市と石巻市に出かけました。あの日以降ほとんど手つかずの特別養護老人ホームで、泥出しの作業をお手伝いしながら、入居されていた方々の思い出につながる写真を探したり、いくつかの避難所で高齢者の話し相手になったり、散歩を一緒させていただいたりしました。厳しい避難生活を送られている方々も、学生が訪れると少しは気持ちを楽にして迎えていただけるようです。学生たちは、1週間の間に、本当に多くことを学びました。

千頭2.jpg

千頭聡教授(国際福祉開発学部)

 最近、「受援力」という言葉が使われるようになってきました。ご存知でしょうか。受援力とは、ボランティアを地域で受け入れる環境・知恵などのことを指します。つまり、大きな災害が発生した後、外部からの支援やボランティアの受け入れが必要となります。しかし、必要な支援を適切に受けるためには、まず、どのような支援が必要かの情報やニーズを外部に的確に発信することが求められます。また、遠くから駆け付けたボランティアの方々が適切に支援活動にあたるためには、地域の状況をきちんと伝える必要があります。このようなことができる力が受援力です。受援力を高めるためには、日頃から、地域づくりのリーダーが存在し、知恵を出し合いながら協力して地域づくりを行うことが重要となります。自分たちの地域の強みや課題を常に把握しておくことも必要です。つまり、災害時の支援・復旧には、平素からの地域の力が問われることになります。今回の大震災を大きな教訓として、来るべき東海・東南海地震に備えていくことも、私たちがとるべき大切な行動だと思います。

 さて、私の専門は環境計画という分野です。環境計画とは、地域の幅広い意味での資源をどう生かし、次の世代につなぐ、持続可能な地域と社会をつくっていくことです。わが国では、これからの社会を持続可能なものとしていくために、平成19年に「21世紀環境立国戦略」が策定されました。地球温暖化の危機、資源の浪費による危機、生態系の危機という3つの危機に直面している状況を踏まえ、これからの社会は、低炭素社会、循環型社会、自然共生社会という3つの社会を通じて、最上位の目標である持続可能な社会を実現していくことがうたわれています。低炭素社会とは、化石燃料の消費を抑え、地球温暖化を促進する二酸化炭素などの排出がより少ない社会を意味します。このテーマに関連して、過去2年間ほど、消費者の購買行動の変革を通じて二酸化炭素の排出抑制を進める研究プロジェクトを進めてきました。レジ袋の削減に代表されるように、一人一人の行動は小さくとも、消費者全体の意識と行動が変われば大きな成果を生み出すことができます。地域でとれた旬の野菜、無駄な包装材を使わない商品や詰め替えタイプの商品などを購入したり、できるだけ近くのお店に徒歩や自転車で買い物に行ったりすることによっても社会は変わります。また、消費者が声を上げることで、メーカーやお店を変えることもできます。大都市の市民が中山間地域と連携して、支えあうことも重要です。どうすればそのような社会を実現できるか、少しずつ社会実験を進めています。

 一方、昨年10月に開催された生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)開催中には何度か会場に足を運び、白熱した議論を眺めていました。また、会場となった国際会議場で、様々な団体や組織が生物多様性に関わる展示やイベントを行いましたが、私も、いくつかのブースの展示やイベントに関わり、都市での生物多様性の実現方策や、身の回りの暮らしの中での取り組み方などについて模索しています。名古屋市では2009年度に「生物多様性2050なごや戦略」を策定しましたが、策定メンバーの一人として、私たちが目指すべき2050年の都市像を探るために、多くの市民の方々とワークショップを重ねたりしました。

 持続可能な社会をつくっていくためには、日本のような、大量の資源とエネルギーを消費している先進国がまず取り組まなければにならないことは多いのですが、同時に、発展途上地域のこれからの発展をどう支援していけばよいかも重要な課題です。私が属している国際福祉開発学部や大学院の国際社会開発研究科(通信制)では、環境・福祉・平和・産業・社会構造など、幅広い視点から、持続可能な社会のありようを考えています。

 発展途上地域での研究として、1991年の大学赴任以来、毎年1〜2回訪ねているのが、インドシナ半島の中央部に位置するラオス人民民主共和国です。アジアの最貧国の一つとされ、いまだに電気や水道のない村落が多数あります。大規模な商業伐採などによって、ここ30年間で国土の2割以上の森林が消失してきました。また、現在も多くの村では焼畑が営まれています。日本でも昭和30年代初めまではあちこちで行われてきた焼畑は、本来、15年から20年ほどのサイクルで、自然の回復力をうまく生かした伝統的な農法です。しかしラオスでは、人口の急激な増加や、山の上から低地の河川沿いや道路沿いへの移住などのため、村落の周辺の山々で短期間に集中的に焼畑が営まれるようになりました。そのため、森林が再生する前に再度火入れが行われる状態となり、森林の状態は大幅に悪化しています。このような状態の森林をどうすれば再生できるかが私の研究テーマです。しかし、森林だけを考えていても、再生は実現できません。村人にとっては焼畑が唯一の食糧確保の手段ですから、焼畑を安定化させていくためには、代わりとなる農業や現金収入の方策を考えることが不可欠です。森林がラオスの人々に与えている恵みの豊かさをきちんと理解するためには教育も欠かせません。家族の暮らしを安定させるためには、衛生問題の解決なども重要な課題です。発展途上地域の現場では、このような様々な課題が相互に密接に関係しあっています。したがって、研究課題を専門分野に応じて細切れにするのではなく、逆に、社会そのものを有機的なシステムとして包括的にとらえ、問題相互の関連性のもつれた糸を少しずつ解きほぐしながら、持続可能な社会づくりの筋道を考えていくことが重要です。ラオスに関わりを持ち出して20年間の間に、ラオスの社会は大きく変化しました。電気が通じた村では、村長の家にテレビが置かれ、村中の子どもたちが集まって、隣国タイの華やかな番組を食い入るように見ています。そんな村の風景を眺めながら、ラオスの行く末に想いを馳せています。皆様も機会があればぜひラオスに出かけてみてください。貧しいけど、とても穏やかな時間が流れているこの社会の、実は豊かなことに気付かれることと思います。

 さて、近年、国内の地域づくり・環境づくりにおいて、「協働」という言葉がよく使われます。様々な立場の組織や人々が、互いに協力し、強みや資源・技・情報などを生かしあいながら、共通の目標に向かって協力していくことを示しています。特に、NPOと企業や行政との間で、協働のあり方が議論されています。私も、中部圏と関西圏でいくつかの協働の現場に関わってきました。その一つが、平成16年度から本格的に動き出した、「なごや環境大学」です。なごや環境大学は本当の大学ではありません。220万の名古屋市民が、藤前干潟の埋め立て断念を契機として、廃棄物の大幅な減量化に取り組んだ成果を生かしながら、さらに、次の時代に世界の先頭に立つべき環境首都なごやを創ろうと構想されて始まりました。大学・NPO・地域団体・企業・行政など多様な人々が集い、実行委員会を組織して動かしています。名古屋市内にとどまらず、木曾川流域や伊勢湾までも舞台として、現在、年間700回近い講座が開催されています。講座と言っても座学だけではなく、自然体験、ため池のかいぼり、生物多様性にあふれた公園づくり、ワークショップなど多彩な内容です。講座の企画は実行委員会でも行いますが、全体の9割近い講座は、NPOや企業、想いを持った市民などが企画・実施しています。愛知学長懇話会も持続可能な社会づくりをテーマとして講座を提供していますが、大学生が出席して試験に合格すれば正規の大学の単位認定もされます。私たちが大切にしている言葉に、持ち寄りと持ち帰りがあります。組織や市民がそれぞれ持っている知恵・体験・技術・情報・金・想いを持ち寄り、なごや環境大学での活動を通じて何かを得、再びその成果を持ち帰ろうという訳です。NPOだけではなく、いろいろな企業も、見学会や講座の主催、会場の提供、協賛金の拠出などの形で参画が進んできました。なごや環境大学の活動を通じて、人の輪が広がり、多くの市民が一歩ずつ、なごやを環境首都に向けて動かし始めていることが実感できます。全国的にも高い評価を得ているなごや環境大学のしくみを、名古屋以外のいくつかの地域に広げようと、現在活動を始めています。

 持続可能な社会づくりというテーマはとても大きく、容易に達成できるものではありません。しかし、先進国と発展途上地域、大都市と中山間地域、市民・NPOと行政などを「つなぐ」という視点で結んでいけば、少しずつ社会が変わっていくことと思います。そんな想いで、研究と活動を続けています。

千頭 聡 国際福祉開発学部教授

※2011年8月10日発行 日本福祉大学同窓会会報107号より転載

pagetop