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人にとっての自然環境、身近な自然を求めて ~知多半島における生態系ネットワークの形成~

学長講義
「人にとっての自然環境、身近な自然を求めて~知多半島における生態系ネットワークの形成~」

講師:
福田 秀志 健康科学部教授
日時:
2010年10月2日

※所属や肩書は講演当時のものです。

知多半島の生態系ネットワーク形成

 知多半島は、海に囲まれた里山です。南部には大面積の森林があり、雑木林や竹林、多くのため池など、豊かな自然に恵まれた地域です。その環境を生態系ネットワークで結んで、多様な生物が生息できる環境にする方法を考えるのが、「知多半島生態系ネットワーク協議会」の役割です。

 そのために、指標生物として最も使いやすいのが象徴種(※1)です。日本の自然保護の象徴は、トキではないでしょうか。トキは非常に美しい鳥です。保全や種の保存において、美しさや魅力があることは、人々にアピールする意味でも非常に大切なのです。また、指標生物を保全することは地域の生物多様性保全にも貢献するので、まずは指標生物を選定して、その保全を検討するのが賢明な方法です。

 美浜町のシンボルであるカワウは、森で巣を作り、海で餌を調達する「海のある里山」の指標種です。美浜町では愛されていますが、全国的には害鳥の代表選手です。かつてはそのほとんどが美浜町にしか住んでいない絶滅が危惧された鳥でした。また、美浜町には海以外に汽水域、河川、草原、里山がありますが、一生の間にそれらすべての環境を利用するベンケイガニも絶滅が危惧されています。壱町田湿地には湧水湿地の指標種で、東海地方にのみ自生するシラタマホシクサがあります。そして、知多半島は教科書にも載っている『ごんぎつね』の作者・新美南吉の故郷であることから、自然保全の象徴種として、キツネを選定しています。

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カワウ

(※1 : 象徴種)
人々の関心を集め、種の保全が自然環境の保全をアピールすることにつながる、その地域・環境の象徴となる種。 例 : 里地里山保全におけるトンボ、メダカなど。

知多半島におけるカワウと人との共生

 カワウはかつて日本各地に生息していましたが、1970年代前半に激減し、美浜町の鵜の山に2000羽、上野の不忍池に1000羽を残すのみになりました。狩猟や環境・水質の悪化などが原因と言われていますが、はっきりとは分かっていません。その後、鵜の山では1970年代後半に回復に転じますが、環境収容力である1万羽を超えると、あふれたカワウは弥富野鳥園や尾張旭市の森林公園に営巣しました。そうなると、養殖場のアユを狙う上に、コロニーとなった林では木々が衰弱して枯死したため、害鳥と嫌われるようになったのです。

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枯死した木々

 そもそもカワウは鵜の山から少し離れた神社に生息していたのですが、江戸末期、村民に追われて鵜の山に移動したそうです。しかし、鵜の糞が肥料になることが分かってからは、むしろ保護されるようになりました。弱った営巣木は伐採して薪として使い、伐採した所は植林して植生を回復させます。環境が回復したら営巣を許可し、鵜が増えすぎて木が枯れそうになったら、また追い出して植林する。鵜の山では、このように人とカワウが共存共栄してきたのです。しかし、化学肥料の普及により1958年に採糞が廃止されると、山は管理されずに荒廃していきました。

 そこで、鵜の山の野外体験施設としての活用や、カワウと人との共存の歴史を記した古文書等の資料を散逸させずに保存する、資料館の必要性が生じています。また、採糞体験や、糞を肥料とした参加型農業を行い、ブランド作物を作ることも有効です。今は健康によいとなると多少高くても選ぶ時代ですから、鵜の山で天然の肥料で育てた作物をブランド化すれば、高く売ることができるはずです。そこで得た利益を資料館の運営資金に回して、文献を保存・伝承して未来につないでいくのです。

 一方で、鵜の山以外に繁殖地を拡大させないことも重要です。そこで、鵜の山のカワウが1万羽を超えないように、私たちは卵を食用油や石けんに浸したり、石膏の擬卵に置き換えるなど、卵をふ化させない方法を考えました。その結果、擬卵を使った場合が最も繁殖抑制効果が高いことが分かりました。こうして採糞などの活動も行いながら、新たな形で地域の資源としてカワウを利用していこうというのが、われわれの提案です。

「ごんぎつねの里」を創る

 『ごんぎつね』の故郷・知多半島は、かつてキツネが多く生息していましたが、実は1950~60年代に一度絶滅しています。原因としては、土地開発や殺鼠剤、犬の病気への罹患などが考えられます。ところが、1997年に常滑市で生息が確認されて以来、今では半島全体で見られるようになりました。そんな中で、私たちは里山保全の新たな取り組みとして、知多半島に「ごんぎつねの里」を創ろうとしています。

 知多半島には、2つのタイプのキツネの繁殖場所があります。一つは大面積森林で、南知多町では繁殖から餌の確保まですべてを森林に依存しています。こうしたところでは、森林内で十分な餌が採れるよう森林管理をする必要があります。もう一つが、住宅・牛舎・養鶏場・畑などの近接する鬱閉した小面積の林で、繁殖が確認された東浦町の竹林では餌は周辺の畑や養鶏場などで確保して、林を隠れ家にしています。ただし、ここでは繁殖期に開発のための重機が入ってしまうため、今ではもう繁殖は行われていないようです。こうした所を保全地区に指定し、繁殖期には人が入らないようにするといった配慮を、近隣の畜産家や農家の理解を得て進めていく必要があります。ただ、今いる個体だけではまた病気が流行するなどして絶滅の可能性があるので、半島外から新たにキツネがやってくるルートも考えておく必要があります。

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知多半島で見つかったキツネ

知多半島の森林に迫る危機

 知多半島には非常に特異な保護すべき生態系がありますが、それに今、危機が迫っています。1980年代後半、日本海側を中心に、ブナ科樹木萎凋病の蔓延によってナラの木が集団で枯れていくという事態が起こりました。当初は日本海側だけの病気と考えられていましたが、徐々に全国に拡大し、2004年までには愛知県を含む1府21県に被害が広がりました。この病原菌を運んでいたのがキクイムシの一種のカシノナガキクイムシです。6~8月に枯れたナラから飛び立ったキクイムシは、元気な木に飛来し、集合フェロモンを出して仲間を呼び、集中攻撃を仕掛けます。その結果、大木であっても1~2週間で枯れてしまうのです。

 近年、被害が拡大した背景には、里山林の放置があります。カシノナガキクイムシは太い木でしか生きることができません。かつての里山では15年に一度伐採されていたので太い木はありませんでしたが、1970年代以降、里山林が放置されたことで、ナラの木が大径木化し、カシノナガキクイムシの好む環境になったのです。ナラが大量に枯れると、林地保全上の問題や景観上の問題が起こります。また、水源涵養や土砂崩れ防止といった公益的機能が低下したり、経済的な影響も出てきます。

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カシノナガキクイムシ

 発生場所の特定には、樹木医の方が協力してくださいました。以前、樹木医会愛知県支部で講演した際に、「キクイムシ被害の早期発見初期消火のために、『消防団』を作ろう」という話が出たことをきっかけに、「カシナガ消防団」を組織して活動しています。

 知多半島の場合、大面積の森林のある南知多町、美浜町の森林に至ったらおしまいなので、森林が断片化している北部と中部で食い止めなければなりません。現在、最前線で行われているのは、殺菌剤を注入する方法です。キクイムシは菌を食べますから、4~5月の新葉が出ようという時に殺菌剤を入れて、水の上がりと一緒に木全体に広げることができれば、集中攻撃を受けても菌は繁殖せず、虫は死ぬはずです。この活動は、中日新聞にも取り上げられました。

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殺菌剤での予防対策

ネットワーク形成の協働ロードマップ作り

 現在私たちは、「ごんぎつねと住める知多半島を創ろう」をテーマに掲げ、「海のある里山知多半島生態系ネットワーク形成の協働ロードマップ」を作成しています。知多半島では、豊かな自然を有しているにもかかわらず、暮らしと生き物のつながりが希薄化してきています。また、開発による生態系の縮小と孤立、外来種の侵入、害虫による里山林の枯死、放置による里山林のやぶ化や竹林化が懸念されています。これを解決するには、半島に住む・働く・学ぶ人々がこの活動に関心を持って参加していただく人と自然のネットワーク作り、里山資源の産業への活用、地域の目標作りと共有化が重要であると考えています。

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ごんぎつねと住める知多半島

 現在、NPOや住民、企業、行政、学識者が集まって、「知多半島生態系ネットワーク協議会」を作り、保全・啓発活動を行っています。生き物にとって極めて重要な拠点となるため池が、外来魚のブラックバスに覆われてしまっているので、池干しをして外来魚を除去してから、本来そこに住むべき生物を集めたビオトープを造ろうと考えています。湿地の水質が悪化するとハッチョウトンボやシラタマホシクサといった象徴種が住めなくなるので、しっかりと管理することが必要です。また、汽水域に干潟や漁場を確保した上で、下流における護岸の近自然化を図ることで、水域のネットワークを作っていきたいと思っています。

 私たちは、元の環境に戻そうと言っているのではありません。今の近代的な生活の中でも、かつて知多半島の象徴であった生物種と共存できるような自然豊かな環境を作っていきたいと願っているのです。2010年のCOP10を契機に、先進的な取り組みとして、これらを行っていきたいと考えているところです。

福田 秀志 健康科学部教授

※この講演録は、学校法人日本福祉大学学園広報室が講演内容をもとに、要約、加筆・訂正のうえ、掲載しています。 このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。

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