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21世紀の里山を考える

学長講義「21世紀の里山を考える」

講師:
河合 雅雄 氏(霊長類学者・日本福祉大学生涯学習センター 名誉センター長)
日時:
2010年12月18日(土)

※所属や肩書は講演当時のものです。

急増する野生動物の被害

 2010年12月、重要文化財に指定されている奈良の唐招提寺をアライグマが傷つけたという記事が新聞に載りました。近年、こうした野生動物や外来種による農作物などへの被害が非常に増えています。一番問題になっているのはイノシシで、それ以外にもニホンジカ、ニホンザル、ツキノワグマなどによる被害が連日報道されており、今年の被害総額は200億円を超すだろうと言われています。

 しかし、実は動物の方も被害を受けているのです。例えば、日本にいるツキノワグマの生息数は約1万5000頭という説もありますが、2006年には約5000頭が1年間で捕獲され、そのほとんどが殺されています。保護獣であるニホンザルも毎年1万頭近くが殺され、世界で日本にしかいない特別天然記念物のカモシカも毎年1000頭が処分されています。

 こうした被害が起きるのは、動物社会に異変が起こっているからです。宮城県では、40頭ものニホンザルの群れが突如として現れ、あっという間に橋を渡り、線路伝いに消えていくのが目撃されています。追跡したところ、彼らは元々の土地に住めなくなったために、30数キロを歩いて集団移動した先に定着していたことが分かりました。これは、かつては考えられなかった行動です。最近は里に下りてきて稲を食べるサルもいますが、私がニホンザルの研究を始めた昭和20年代には、稲粒を食べる野生のサルは房総半島の群れだけでした。

里山はなぜ崩壊したか

 このように動物の行動が変容した最大の原因は、里山の崩壊にあります。里山という言葉は今でこそ普通に使われていますが、これは京都大学の四手井綱英先生が昭和30年代の終りに作られた言葉で、実は2000年以前の辞書にはほとんど載っていません。広辞苑に載ったのも1998年の第5版からという、新しい言葉なのです。広辞苑には「人里近くにあって人々の生活と結びついた山・森林」とあります。つまり、農家の人がずっと使ってきた山のことです。石油やガスのコンロがない時代は、煮炊き、風呂、暖房はすべて里山から採ってきた柴や薪と炭を使っていたので、里山は薪炭林の役を果たして、それ以外にも、山の幸が採れますし、茅葺き屋根を造るために使う「かや場」として利用したり、生活道具の材料となる竹林もありました。

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美浜町の里山

 里山には動物が住んでいますが、人の気配があると隠れ、人がいなくなると出てくる、というふうに、お互いに避けあって使う人と動物の入会地でした。クマの生息地は里山ではなくその奥にある奥山です。クマと人間は互いに恐怖心を抱いているので、出会うことはほとんどありませんでした。動物と人がお互いに避けあう暗黙のルールがちゃんとできていたのです。

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 しかし、昭和35年ごろからの燃料革命によって薪や炭が使われなくなり、里山の薪炭林としての役割は急速にしぼんでいきます。里山に人が入らなくなったことで、里山の崩壊は加速度的に進みます。さらに、里では農家がどんどん減り、過疎化で人がいなくなりました。昔はみんなで楽しく採って食べていた柿も、今は実ったまま放置されています。田畑には恐ろしい人間がいなくなったので、野生動物たちは山から下りてきて作物を狙いますが、人間が作ったものはおいしいので、味を占めた彼らはどんどん里に下りてくるようになりました。

 里山崩壊のもう一つの背景として、植林の問題があります。林野庁は拡大造林計画の名の下に落葉林を切り、補助金を出してスギ、ヒノキ、カラマツを植えていきました。ところが、誰も気付かない間に困ったことが起こっていたのです。当時は効率を優先して大面積皆伐・一斉植林を行っていたので、植林した所は日当たりがよくなり、すぐに雑草や低木が生えてきて草原になりました。つまり、シカやサルなどの野生動物にとっては、食べる物に困らない牧場ができたのです。植林によって野生動物が増えるとは、林学者も動物学者も想像していませんでした。

 しかし、木が成長するころには貿易の自由化が始まり、安い外材が入ってきたことで、植林した木が売れなくなりました。10年ほど前、丹波産の50年物のヒノキを売るのに4000円持ち出しだったという悲惨な状況でした。そんな状態では林業が成り立つわけがありません。枝打ちも間引きもしなくなった森は、暗くなって下草が生えなくなりました。植林によって野生動物の頭数が大幅に増えたにもかかわらず、生息地が奪われ食べ物が激減してきたのです。そこで、動物たちは食べ物を求めて里に下りたり、先述のサルのように大移動したりするようになったのです。

 こうした現状を打開するには、もう一度新しい里山づくりをして、それをうまく使っていかなければなりません。そこでは、野生動物に対する行政の態度を明確にすることが求められます。ドイツでは日本の営林署に当たる組織が、その森にいる野生動物の種や数を把握し、それによって捕獲量を決めていきます。ですから、林業関係の省庁に入るには狩猟学を勉強し、動物に関する知識を持っていなければならないのです。しかし、残念ながら日本の営林署の署長には動物に関する知識がなく、管轄する森に何頭の動物がいるかは全く知りません。

 そこで兵庫県では、野生動物を科学的・計画的に保護管理(ワイルドライフ・マネジメント)をするために森林動物研究センターを設置して、昨年はシカを2万1000頭獲り、今年は3万6千頭獲る計画を立てています。ようやく兵庫県内のシカの総個体数が推計され、中央値が14万頭という答えが出ました。3万頭以上捕獲すれば減少に向かうはずです。今までは、獲ったシカは捨てられていましたが、フランスやドイツではシカ肉は高級食材として利用されています。日本でもシカ肉の利用を大いに進めるべきです。

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「森遊び」のすすめ

 山や森には、三つの役割があります。一つ目は生産資源(材木や林産物の供給)です。二つ目は環境資源で、洪水や風の防止、水の保全のほか、CO2の吸収源としての働きがこれに含まれます。三つ目は文化資源としての利用です。

 この中で文化資源としての山林の利用は、日本ではほとんどなされてきませんでした。里山の活用の新しい方策として、大いに進めるべきだと思います。私の故郷兵庫県の丹波地区で行っている「丹波の森構想」がこれに該当すると思います。これは、兵庫丹波地方の2郡10町(現在は2市)870km2 を「丹波の森」と位置付けて、ウィーンの森をモデルにした森林文化を育て、21世紀の新しい生活スタイルをつくっていこうという事業です。ウィーンの森は広さ1250km2の大きな森で、山もあれば、集落や教会、麦畑、ブドウ畑もあり、休日にはたくさんのウィーンの人が散策する姿が見られます。丹波地区の森林被覆率は76%。森の中に、集落や学校、小さな工場があり、全体の配置がウィーンの森にとてもよく似ています。阪神間から車で1時間なので、都市の緑、憩いの近郊として役立つでしょう。非常に面白い取組なので私は始めからこの事業にかかわり、事業の推進拠点として丹波の森公苑ができた際に、公苑長に就任しました。

 丹波の森構想を進めるために、10町が拠金して財団法人丹波の森協会が設立されました。ウィーンの森、フォンテーヌブローの森との間で友好協定を結び、シュヴァルツヴァルトの森、バイエルンの森にも呼びかけて、シンポジウムを開催しました。そこでフォンテーヌブローの森のボー副理事長から「日本人は本当に森が好きなのだろうか。森を歩いても、歩いている人を一人も見かけなかった」と言われ、言葉に詰まりました。なんと、フォンテーヌブローの森へは、年間1,200万人の人が訪れ、森の中の散歩などを楽しんでいるといいます。古来、日本人にとって里山は生活の場であり奥山は信仰の対象だったので、そこで遊ぶという風習がなかったのです。

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フォンテーヌブローの森

  里山には人がしょっちゅう行き来していて、自分の田んぼや畑と変わりませんでしたが、その向こうにある奥山には、普通の人は行きませんでした。奥山に行くのは木こりや猟師、修験道の人たちだけで、高い山は信仰の対象として、白山信仰や立山信仰、富士山信仰が生まれました。柳田國男の研究によれば、日本では奥山は先祖の霊がおわす彼岸と捉えられていたのです。しかし、里山で人々が遊ぶようになると、動物との関わりも出てくるので、人間と動物の入会地をもう一度つくろうという動きが出てくるはずです。

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シュヴァルツヴァルト

 そこで、私は最近「森遊びのすすめ」ということをすすめています。登山やスキーといった山の遊びは明治時代以降に外国人が教えてくれましたが、低い山や森を歩く楽しみについては教えてくれなかった。わが国では、世界でも有数の川遊びの文化を発展させてきました。それと同じように森という自然物を利用して森遊びの文化をつくっていきたいのです。そのためには、森の楽しさを知るためのいろんな仕掛が必要です。そのいくつかを紹介します。

 兵庫県では、これまでに六つの里山公園を造りました。200~500haの里山を購入して、そこに講義ができる場所や料理場、木工細工をする建物を建てるなどの拠点を作ります。運営はほとんどボランティアで、私が運営委員を務めている「ささやまの森」でも、83人のボランティアがバードウォッチングや昆虫観察会、コンニャク作り、草木染、源流探検、子どものための「森の学校」などのプログラムを進めており、この里山の運営は非常にうまく行っています。阪神間からも多くの人が訪れます。

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 また、丹波の森では12年ほど前に子どもたちに250本のクヌギを植えてもらいましたが、クヌギの森にはいろいろな楽しみ方があります。樹液を求めてカブトムシやクワガタムシ、カナブン、チョウなどが集まって来るので、子どもたちが昆虫採集をすることができます。クリの木も350本植え、秋には栗拾いの体験をさせていますが、これも非常に好評です。さらに、ワラビ狩りを楽しむ森をつくるのもいいでしょう。谷にモミジやハゼノキ、テイカカズラを植えれば、秋に紅葉を楽しむことができます。あるいは、日本はユリの国なので、さまざまなユリを植えるのもよいと思います。時間はかかるかもしれませんが、こうしたみんなが楽しめる新しい里山を作っていけば、里山遊びに幅ができて、里山はますます魅力的になるでしょう。これは観光資源にもなるでしょうが、私は何より、子どもが本当に楽しんで遊べる里山をつくりたいと思っています。

後世に伝える森づくり

 森は、動物がたくさんいるからこそ楽しむことができるのです。今、問題になっているシカやイノシシやクマはともかくとして、私はリスやムササビといった小型のけものは増やしてもよいのではないかと思っています。そして、木の実がたくさんできる森をつくって、小鳥や楽しい昆虫を増やしたいです。これからは、「小鳥の森」のようなものを積極的に造りたいですね。

 丹波の森公苑ではエノキを170本植えましたが、それはエノキが日本の国蝶であるオオムラサキをはじめ、4種類のチョウの幼虫を育てるからです。植樹してから15年、今年は1300匹の幼虫がかえり、七夕の日に80~100頭ほど放ちました。日本には、七夕や菖蒲の節句や桃の節句のように、季節ごとに素晴らしい行事があります。最近は次第に廃れつつありますが、私はそれらをもう一度、子どもの世界に復活させたいのです。

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オオムラサキ

 今年は子どもたちによってオオムラサキの放蝶を行い、再度子どもたちにエノキを300本植えてもらいました。彼らが大きくなるころには、丹波の森公苑には日本一のエノキとクヌギの森ができ、オオムラサキが舞いタマムシが飛びかうことでしょう。もちろん私はとっくに死んでいるでしょうが、そのような夢の森づくりを後世に託していきたいと思っています。知多半島は、里海と里山をもった緑の半島です。名古屋市の人が憩い自然と遊ぶ魅力的な里山と里海を創っていきたいものです。

霊長類学者 日本福祉大学生涯学習センター 名誉センター長

河合 雅雄

1952年 京都大学理学部動物学科卒業。 京都大学教授、日本モンキーセンター所長などを歴任し、現在は日本福祉大学生涯学習センター名誉センター長、京都大学名誉教授、兵庫県立人と自然の博物館名誉館長。サル博士として名高く、サルの研究を通じて人類の起源・進化を探る一方、草山万兎というペンネームで『ゲラダヒヒの紋章』などの童話も記す。『子どもと自然』(岩波書店)は1990年以来、30刷を超えるロングセラーである。

※この講演録は、学校法人日本福祉大学学園広報室が講演内容をもとに、要約、加筆・訂正のうえ、掲載しています。 このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。

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