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若者が生み出す社会像への期待

現代の映像との関わりと文化創造性

 現在、若者たちによる自己表現の方法として、スマートフォンで作成した短時間映像をソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)へアップロードする、といったスタイルが定着している。こうした方法は一時期、行き過ぎたふるまい(「バイトテロ」など)により社会的に負のイメージを伴った認知もなされてきた。しかし現在では、そうした側面がことさら強調されることもなくなってきたようである。

 一方で、そうした映像を「鑑賞」する行為については、若者にとってテレビ番組にかわる、一般性を保持した娯楽として認知されているといえよう。ただし視聴方法は、スマートフォン画面をスクロールしていくことで、短ければ秒単位の長さの映像を次々と切り替えていく、という様式をとる。いわば脊髄反射的に、見続けるか次に進むかを決定しつづけるといった楽しみ方である。このような「鑑賞」行為では、ストーリー性よりもむしろインパクト性といったものが重視され、「いま、ここ」における刺激的な楽しさが追求される。であれば、映像を「製作」する行為においても、その点に価値が置かれることになる。ここでは、以上のような見立てを出発点とし、私たちが実は既に手にしつつあるかもしれない、映像作品・映画を生み出していく文化・芸術的創造力と、それへの期待について述べてみたい。

 今日では、多くの人びとがSNSなどによって日常的に誰かとつながったままの生活をしているといえるだろう。これは、参加の自覚をことさら喚起することのない、フィクションとも事実とも捉えられないような「関係」の持続、という虚ろな物語を私たちは生きているのだともいえる。そうした下では、他者との「関係」の物語(ライフストーリー)における「出来事」といったものに、より焦点化されていくだろう。さしあたり存在基盤としての「関係」がある中(その喪失は逆に大きな恐怖となるが)、ストーリーをいかに彩り、展開していくか。その鍵となる「出来事」に注目が置かれることは、むしろ自然な文脈として捉えられうる。

 筆者は映像文化についての研究を行っているが、例えば映画の「製作」ではショット(あるいはそれによるシーン)をいかに生み出し、それら同士をいかにつなぐかが重要となる。映像作品(の評価)とは、こうしたつながりの妙で成立する部分が大きい。これはつまり「出来事」をいかに生み出し、それら同士をいかに結びつけるかということでもある。この作業は、実は前述の短時間映像の「鑑賞」と「製作」双方の行為に結びつくものであることがわかるだろう。従って若者たち(あるいは私たち)は、いつのまにか映像作品への創造性に向けたエクササイズを行っており、それに長けた力を備えているともいえる。映画を創り出すことは、新たな社会観や感性の提示、そして既存の閉塞的状況からの解放へと導く可能性を秘めている。私たちの社会は、草の根的にそうした基盤をもちつつあるといえるのかもしれない。

小坂 啓史 教育・心理学部 子ども発達学科教授

※この原稿は、中部経済新聞オピニオン「オープンカレッジ」(2023年11月17日)欄に掲載されたものです。このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。

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