「月経」と聞いてどんなイメージを持ちますか。「自分には関係ない」と読み飛ばすか、「人前で語るなんて」と恥ずかしく思うかもしれない。でもなぜそう感じるのだろう。
2015年の国連サミットで決まった開発目標SDGsに後押しされ、月経を理由とする教育やジェンダー課題の解決に向けて「月経衛生対処(MHM:menstrual hygiene management)」が国際的に議論されるようになった。月経の知識や生理用品の入手と廃棄、トイレと水回り環境の整備、そして月経に関する「ポジティブな社会規範」が重要だという。
私が調査を行っているインドネシアの小中学校では、理科(自然科学)や宗教(イスラーム)科目で月経を扱う。性別問わず一緒に学ぶ反面、月経を「汚れ」と結びつく知識として教わることが気になっている。
「月経をポジティブに見る目を養うこと」は今の日本の課題でもある。私は中学校の保健の時間に女子だけ集められて月経サイクルを学んだ。そのなんとなくコソコソした記憶は、月経を「恥ずかしい」と隠すようになったことと無縁ではない。誰と一緒にどのようなものとして教わるかは、その後の月経イメージへ影響を与える。
日本では、コロナ禍をきっかけに「生理の貧困」が社会課題となり、学校等での生理用品の無償配布が広がってきた。また、月経は市場でも注目され、女性の健康課題を解決する技術に着目したフェムテック商品やサポートが展開されている。関心の高まりを背景に、テレビドラマなどのメディアで、日常的な健康事象として月経がとりあげられる機会も増えてきた。
ジェンダー関係や人間の健康観に及ぶ広義の月経教育は、個人の多様性に触れ、DEI(Diversity, Equity & Inclusion)を身近に理解する糸口ともなるようだ。私は日本福祉大学でインドネシアの月経事情を導入とする異文化理解の講義や演習を行う中で、参加者が同性同士の違いに気づき、性別を超えて語る機会となる手応えを感じてきた。ゼミ活動では「月経を語ろうプロジェクト」と銘打って「知らないこと」「知りたいこと」を共有し、「男子が生理用品買ってみるフィールドワーク」や、キャンパスでの生理用品設置実験を学生が展開した。「女子だけこそこそと知る恥ずかしい月経」からの脱出経路は、少しずつ見え始めている。
ただし、「語れること」と、「語らされること」は別だ。たとえば、PMSや月経痛を自ら相談できて、学校や職場での配慮につながるのは素敵だが、組織側の都合で、本人の意向にかかわらず月経周期を申告「させる」としたら、それは本人にとって「ポジティブ」な自己認識を導くとは限らない。「月経語り」には注意が必要なのである。
初経から閉経まで何十年にもわたって健康のバロメーターとなる月経について信頼できる知識を気楽に得られ、語りやすい土壌が育まれることは、「月経のある人」はもちろん、親やパートナー、同僚や上司としてかかわる人にとっても、助けになるだろう。「語らされる」のではなく「語れる」機会が増えることを期待する。
小國和子 国際学部教授
※この原稿は、中部経済新聞オピニオン「オープンカレッジ」(2025年2月10日)欄に掲載されたものです。学校法人日本福祉大学学園広報室が一部加筆・訂正のうえ、掲載しています。このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。